前回の「旧岩崎邸庭園」の冒頭に触れたように、東京都内には、岩崎家ゆかりの名園が三庭あります。その1つが、この六義園(りくぎえん)です。
東京に残る代表的な大名庭園として知られる六義園は、江戸時代、あの有名な柳沢吉保の庭園でした。五代将軍綱吉の側用人であった吉保が、綱吉からこの地を賜り、7年の歳月をかけ、元禄15年(1702)に完成させたとあります。この年は、奇しくも、かの赤穂浪士討ち入りの年。
(上: 雅趣に富んだ景が満載の六義園)
面積87,000平方メートルの庭園は池泉回遊式。園名は、和歌の分類の六体(六義)に由来し、園内の88ヶ所に、和歌に基づく景色を再現したということです。「玉藻の磯」「出汐の湊」「妹山・背山」「渡月橋」などなど。
(上: 広大な池と蓬莱島)
上の写真は、この庭園で最も有名な景。庭園の中央を占める大きな池と「蓬莱島」です。神仙思想に由来する蓬莱島は、日本庭園にしばしば見られる構成要素ですが、ここではアーチ形の「洞窟石」が特徴的です。
和歌には松を題材にしたものも多いので、ここでも見事な松の景が目を引きます。
(上: 枝振りの良い松が、風雅な景色を創っている)
全体的に、明るく伸びやかな庭園ですが、池の南端は深山幽谷の景。「滝見の茶屋」を中心に、滝や渓流で構成されています。
(上: 水分石のある滝石組)
(上: 滝から始まる渓流の景)
(上: 滝見茶屋とその周辺)
(上: ユニークな渓流の石組)
(上: 渓流から池方面を望む)
池の北端には、園内で一番高い築山「藤代峠」があります。紀州にある同名の峠から名付けられたとか。標高35メートルと言うように、かなりの高さで、そこからの眺めも必見です。
(上: 藤代峠から眺める)
そして、藤代峠のある中島にかかる橋の一つが「渡月橋」。「和歌のうら 芦辺の田鶴の鳴声に 夜『わたる月』の 影そさひしき」という歌から名付けられたそうです。二枚の巨石による石橋が、ダイナミックな景観を演出。
(上: 渡月橋。巨大な石橋が景色を引き締めている)
そして最後は桜。都内の多くの大名庭園同様、六義園もまた、シダレザクラの大木をはじめ、サクラが見事です。下の写真は、ちょっと最盛期を過ぎたものですが・・・。
そして時代が移り、明治11年、維新後に荒廃していた六義園を、三菱の創業者・岩崎彌太郎が購入、「岩崎家駒込別邸」として、彌太郎と二代目彌之助により修復され、往時の景観に復元されたそうです。
その後、昭和13年、岩崎家より東京市(都)に寄付され、昭和28年に国の特別名勝に指定されたと、案内にあります。
* 新型コロナウィルス感染拡大防止のため、3月6日現在、休園中とのこと。再開園につきましては、 公式HPなどをご参照ください。
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