
なぜか、インド。
行ったことが、ありませんが、藤原新也の『印度放浪』の中の情景が、脳裏をかすめます。
「ガンジス川に浮かぶ死体を喰らう犬」
ガンジス川には、山のような遺体が流れているそうです。
隣では、その聖なる川で、沐浴する人たち。赤い夕日。
まだ若かった、40代初め。
私は「時代の空気」「時代の感受性」を捉えたくて、出会ったのが、この藤原新也でした。
匂いや湿気や、夜の濃密さ。人間が蠢く気配。
それを濃密に描く、金子光晴に惹かれたのも、「時代の空気・感受性」を捉えるためでした。
その金子光晴の『マレー蘭印紀行』とも違う、でも時代の空気感や、匂いや、粘っこさまで伝わってくる文体でした。
それにすっかりやられてしまいました。
それも行ったこともない、インドという国に。
それ以来、片っ端から藤原新也を読み、実物を見てみたくなり、ある日、子どもたちが学校へ行っている時間。
銀座に、昔あった「旭屋書店」の道向こうのビルの2階にあった「みゆき画廊」で、彼がリアルに絵などを描くデモンストレーションが行われるという新聞記事を読みました。それで見にいきました。
彼の文体の美意識と、屈んで絵を描いているおじさんの姿は、どうも重なりませんでした。
当時は、藤原新也ファンは、男女問わずいて、たくさんの人たちが、彼が絵を描いているのを、眺めている姿を、後ろの方から見て、帰ってきました。
かれこれ、20年は、私は彼のファンだったと思います。
新刊が出れば買い、すぐに読む。
そして、その文章に打たれ・・・。
こうして私は、藤原新也の目を通して、インドを知り、チベットを知りました。
そんな思い出のインド。
まだ一度も行ったことはないし、これからもいきたいとは思わないでしょう。
私は、空気感としては、こういう世界が好きでも、リアルにその場に立つと、食べ物も、空気も、うまく吸うことができないのです。
アジアではシンガポールは例外でした。
ベトナムも、フランス領の時からある、ソフィテル・レジェンド・メトロポール・ハノイの旧館に泊まりたいから行っただけ。
黄色い大統領府も、ホーチミンの小屋も・・・。
ふ〜ん、そんなもの、っていう感じです。
基本、ミーハーなので、本で知ればそれが一番いいと、現地に立つと後悔するタイプです。
第一、現地のものが食べられません。
このままで、生涯、いくのだろうなと思いつつ、本の中だけでいいと、思ってしまうのですから、冒険心がありません。
そんなことを思い出させてくれた、インドの雑貨展でした。
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