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20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
毎日更新。児童文学情報・日々の暮らし・超高層からの眺望などニュース満載。

老いるということ

2025年07月03日 | Weblog
            

昨日はスポーツ吹き矢か帰ってきて、簡単なお昼ご飯を夫と食べ、その後、しらないうちに、Yogiboでお昼寝をしていました。

トレーニングはいつも通り。体を究極に動かし・・・
それが快感で。

参加者が少なかったので、皆さん、思い通りに吹き矢を使えました。
私は、5本✖️12回。

けれど、だんだん、足が重くなってきて、椅子に座って見学。

お昼寝から起きて熱を測ったら、37度。
「あ、冷房の中で寝ていて、昨夜、寒くて目が覚めて、0,5度あげたり、風向きを変えたりした時、ちょっと風邪をひいたのかもしれない」
と、常備してあるアセトアミノフェンを飲み、平熱に。
今朝も平熱です。
でも、午後、ビタミン剤のお薬を処方していただきながら、クリニックの院長先生とところへいきます。

お夕食の支度が一段落して、夕刊を読むと、上野千鶴子さんが「老いに」について語っていました。
元気満々の時は、そんなこと、将来のことと、皆さんのお話も「参考」に伺っています。
けれど、急に、「老い」が身近なものになりました。
「老いに遠慮はいらない」
上野さんは、老いを否定する年齢差別に異議を唱え、人生最後の日々の道筋を考えています。

「死ぬ権利が叫ばれる現代だが、実際には、特に女性の高齢者が、いつの間にか、死を受け入れるように同意させられてしまうことがある」と。

「施設に入って、認知症になり、自分の存在も忘れ、子ども達には迷惑をかけない」
これが老母の、当たり前の最期の生き方であり、死に方。

少しづつ、自分の体が思い通りに動かない。動くのが奇跡。と。

うちのマンションは、玄関に札をかけることになりました。
元気でいる日は「ニコニコ」カード。
カードがかかっていなくて、2〜3日電話をしても出なければ、何か、あったのかもと、警察と管理会社が動いてくれる。
そして、離れて暮らしている、子どもたち家族に連絡が行きます。

一人で死ぬことなんか、怖くない。生まれたのも、一人で生まれてきたんだもの。

いつか、そんな日が来ても、オタオタせず、自分は自分と、自然に死んでいけばいい。
そんな、上野千鶴子の潔さが、彼女の言葉からは伝わってきます。
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朝の雲

2025年07月02日 | Weblog
            

火曜日の朝。
エアコンを消して、ベッドルームのカーテンを開け、窓を開けたら・・・。
鱗雲のような雲が、東の空に。

これって、秋の空じゃないかしらと、雲について、調べてみました。

中学の学習参考書より・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
空の高い位置にできるため、氷の粒つぶでできた雲です。小さい雲の塊が並んでうろこのように見えます。

薄くて平面的な形です。
腕をのばした状態で、人差指を空にかざすと、雲の塊り1個が人差指の先で隠れるほどの小ささです。

こちらも低気圧の温暖前線が近づくとできる雲で、低気圧が西から東へと移動する春や秋に登場しやすいです。

特に秋は空が澄んで青く、雲がはっきりと見えやすいので、巻積雲を見て秋の訪おとずれを感じる人は多いはずです。

・・・・・・・・・・・・・・・

やっぱり、秋の雲だ。
本当に変な気候です。
地震も、多いし・・・・。

「トカラの法則」なる都市伝説も、7月5日の漫画由来の都市伝説に揺さぶられている人もいるし。

政党もこれまでの既存政党ではなく、新しい政党もたくさん生まれています。

中には、「オーガニック信仰の右傾政党」なんていうのもあります。
これは、政策云々より、オーガニックに惹かれる、中産階級の中年女性が多く支持していると、日本ペンクラブ会員の評論家の古谷経衡が、ネットに詳細を書いています。お調べください。

オーガニック信仰で、お野菜は表参道の「有機野菜専門店」でまとめて買ったり、とても体に気を遣って生きていた友人が、数人いました。
その人たちが、立て続けに癌になり、亡くなったという悲しい経験をしています。

地球にはそれなりの菌や、悪いものも人間は吸ったり、食べたりしています。それを全て「無農薬しか食べない。体に悪い、お砂糖類は食べない」と言って無菌にした途端、抵抗力がなくなり、その友人たちは癌になり、亡くなりました。

コットンの洋服を着て、毛染めも危険と、真っ白な白髪を三つ編みにし、だらっとしたオーガニックのお洋服。
その友人たちを見ながら、「ここまで徹底しているのは、すごい」と、当時は、思いました。
けれど、その人たちは、70歳の壁を越えられず、60代で、癌で亡くなってしまいました。

スーパーの食品も、何もかも、多少の体に毒になるものは入っています。
そこと体を戦わせることも必要なのかもと、当時、思ったものです。

そういう体験があるので、こういう都市伝説に巻き込まれたり、7月5日が来るのをドキドキしながら生きている人。
極端にオーガニックにだけこだわっている人を見ると、逆に不安になります。

講談社の『現代ビジネス』には、こう書かれています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
オーガニックの、有機JASでは、化学的に合成された肥料を与えない事が条件なので、動物性肥料を大量に投与した場合でも、認証を取得することには、何も問題はありません。

硝酸性窒素
聞きなれない言葉ですが、これがかなり重要です。
硝酸性窒素(しょうさんせいちっそ)と読みます。

自然由来の動物性堆肥でも大量に投与しすぎると、この硝酸性窒素というのが大量に発生してしまう事がわかってきました。

硝酸性窒素は、ここ数年大きく取り上げられるようになってきた物質です。
発ガン性、ヘモグロビン血漿(血中の酸素運搬を阻害)など深刻な毒性がある事が確認され、海外では乳幼児の死亡事故が発生するなど、問題視されるようになってきた物質です。

病気をして、健康を意識するようになり、有機JASマークの食品のみを厳選して食べるようになり、次第に体調を崩し、ほぼ寝たきりの状態まで健康状態がボロボロになった。
その原因を突き止めていくと、有機JAS食品中に含まれる硝酸性窒素が原因だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

地震大国の日本。いつ、何が起こってもおかしくありません。
オーガニックと言えば、耳に優しいけれど、それしか食べず、抵抗力がなくなっていくことへの不安はないのかとか・・・。
季節感さえ、ぐちゃぐちゃな、今の日本の空を見ながら考えました。

さて、今朝は、夫とスポーツ吹き矢の会。
夫は週に一度の運動です。日々、夜に、一人で我流ではやっていますが・・。
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半夏生

2025年07月01日 | Weblog
             

半夏生の花。

今日、7月1日は半夏生です。
半夏生というのは、二十四節気の一つ「夏至(げし)」から数えて11日目にあたる日。

この時期、植物「半夏(カラスビシャク)」が芽吹くとされ、自然界に新たな生命の息吹が感じられる瞬間と捉えられています。

農作や健康祈願の節目として、厄除けや豊作を願う風習があるそうです。

こういう四季暦が好きなので、「半夏生」という言葉にも惹かれます。

今日は、「タコ」を食べるのがいいそうです。
近所に、美味しそうな「タコ」を売っているお店もなく・・・。
代わりに、生協の「イカそうめん」にわさびと、大葉を添えて、箸休めに、食卓に載せます。
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ビタミンカラー

2025年06月30日 | Weblog
            

             

ビタミンカラーと言われる、オレンジ、黄色。

昨日は、久しぶりに、その元気カラーのバラの写真を写してきました。

6月も今日でおしまい。
でも、陽気は6月ではなく、真夏のよう・・・。

暑い中でもお出かけしないと、こうしたビタミンカラーの色が、体から抜けてしまいそうなので、今朝もこれからカーブスへ。

電車で、綺麗なオレンジのカーディガンと、オレンジのネイルをしている、ご年配の方をお見かけしました。
白髪と、そのオレンジが、とっても似合っていてとても素敵な方でした。

オレンジのカーディガンの下に来ていたブラウスは、細い花柄の綺麗なブラウス。
スマホをずっとご覧になっていました。

綺麗な方をお見受けすると、こちらも元気になります。
ああ、こんなふうになりたいなと。

そう言うご年配の美しい方を見るのが、私にとっての、ビタミンカラー、と言うか、栄養です。
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Ginza Sony Park

2025年06月29日 | Weblog
           

           

           

久しぶりに、銀座ソニービルの前を通りました。

跡地には、Ginza Sony Parkという遊び場のようなものが作られています。
ソニー企業のOECは、
「訪れた人が自分の庭のように使ってほしい」と紹介しています。

銀座に遊び場。
ニューヨークのブロンクス地区のように、ここから、新しいヒップホップカルチャーが生まれるのかもしれません。

一度、ぜひ、覗いてみてください。

ソニービル跡地は、ストリート系のビルに変身して、今年の1月にオープンしたらしいです。
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ダニに刺されて死んだというニュース

2025年06月28日 | Weblog
            

このところの湿気たるや、例年にはない異常な%です。

エアコンをつける前の、我が家のサロンの壁にかけてある湿度計。
日々80%は当たり前。

こんなに湿度が高いと怖いのが、ダニ。
洗濯しても、日向干ししても、ダニは死なないそうです。

そんなことを考えていたら、ニュースで、ダニに刺され、亡くなった方が。
40代と90代の方だそうです。

ダニシートは買って、主にベットのシーツの下に置いています。
でも、それだけではダメかもしれないと、慌てて今日は、ヨドバシに行きます。

これを、二つくらい買ってきて、ベッドルームと、サロンに置いておこうと思っています。
それにしても、この亜熱帯気候のような陽気。
辟易です。

カートを持たずにお買い物に行ったら、荷物が重くて、マンションに入ったら、きていたワンピースが、びしょびしょ。

そのまま、エレベーターの前で、ばったりお会いした、90歳代の方とおしゃべり。
亡くなったお姑さんが、大切にお召しになっていた、紬のような着物地を、ご自分のスカートに縫い直しているとか。

指先を使うのは、脳にもいいですからと。
お肌もツヤツヤで、シワもありません。
ピンとした姿勢で、病気なし。
体操、太極拳、この手芸クラブ。
マンションの、いろいろなサークルに入って、頑張っていらっしゃるそうです。
そういう方が数人、いらっしゃいます。
こちらに越していらっしゃる前は、銀座にお住まいだったとか。
樋口恵子さんとは同い年で、日本婦人問題懇話会のようなことをして、食や、いろいろを勉強したと話していました。
お子さんたちは、みんな、銀座の泰明小学校を卒業なさったそうです。
銀座のど真ん中の子ども時代。どんな時代だったのでしょう。
数年前にご主人を亡くされ、お一人でお元気にいらしています。
その時の「とっさに、救急車なんか呼んでしまって・・・他にもっといい方法があったかもしれない。私の判断で、夫は亡くなってしまったと、今でも悔いています」と。

「本当に、素晴らしいです」と、申し上げながら、秩父の母が亡くなった時の様子を話しました。
人間って、お水だけしか飲めなくなると、3週間ほどで、亡くなるそうです。
「あちらの階の奥様・・・」と指さし
「あのオタクの奥様のお母様も、うちの母と全く同じだったとお話していました」と、細かく詳細を話しました。

「素晴らしいですね。私も、施設など入らずに、絶対、そういう大往生で逝きたいです」
「奥様は、子ども孝行でいらっしゃいますよ。90歳を過ぎて、全部お一人で、前向きに頑張っていらっしゃるのですから」と、

そんな話をして、エレベーターに乗り込んだら、鏡に映った姿。
ワンピースの上半身が、汗でびっしょり。
「嫌だわ、こんな格好で、お話ししてたのね」と思わず、独り言。

でも、こういう気持ちのいい、潔い生き方をしていらっしゃ大先輩の方々と、何かの機会にお話ができ、いろいろ教えていただけるのは、幸せなことです。
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子どもと平和の委員会

2025年06月27日 | Weblog

日本児童文学者協会HP ↑ クリックしてください。

先日の、日本児童文学者協会の、6月理事会で、お願いした、イスラエル、ガザ、イラン、アメリカの問題。
声明ではなく、子どもと平和の委員会で、何か、つぶやいてくださいませんか?と、委員長にお願いしたら・・・。

理事会が終え、その夜すぐに、HPに掲載してくださいました。

「子どもと平和の委員会」の委員以外の、児文協の会員の皆さんも、ぜひ、ここに続いてください。
掲載できない場合は、事務局にご相談ください。
世界で唯一の被爆国、日本の、子どもの本の書き手たちからの、せめてものレジスタンスです。

この姿勢、どこかの新聞社で興味を持っていただけないでしょうか?

それにしても、さすが、文学者の集団です。
素晴らしい文章。
上のHPをクリックしていただければ、他のも、全部が読めます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「加害者になるな、犠牲者になるな、そして 何より傍観者になるな」
       子どもと平和の委員会・2025.06.25

◇「加害者になるな、犠牲者になるな、そして何より傍観者になるな」(Y・バウアー博士の言葉)

ガザでは既に一万六千人以上の子どもたちが犠牲になりました。戦争が始まれば、真っ先に犠牲になるのはいつでも小さい者、弱い者たちなのです。
ソビエトのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ攻撃、イスラエルとイランの紛争。核施設への攻撃。
毎朝、信じられないようなニュースが伝わってきます。
せめて、遠い国の見知らぬ人々の苦痛に深く思いを寄せ、断じて加害者に与しないでいたい。
「正しい戦争」などというものは、ありません。
朽木祥
 

◇90年前、ユダヤ系ドイツ人の言語学者は日記にこんなことを書きました。
「今日ふと思った。人間の能力と非力、人間の知恵と愚かしさのあいだの溝が、今日ほど圧倒的に深まったことはかつてなかったと。 ヴィクトール・クレンペラー(『私は証言するーナチ時代の日記1933-1945年』)」

目を覆いたくなるようなニュースが毎日流れてきます。
今日、人間の知恵と愚かしさのあいだの溝は、90年前よりも深くなったのでしょうか。
わたしたちは永遠に荒れ野の道をまわりつづけるのでしょうか。
あらがう術は、関心を持ち続けること。素通りしないこと。
世界とわたしたちはつながっています。
長江優子


◇戦争は絶対にはじめてはいけない

これは戦争を経験されたすべての方の言葉です。
なのにまず犠牲になるのは弱い立場にいる命あるすべてのものたちです。
武力で守れる平和も、武力でねじ伏せる平和もありません。
始めていい戦争なんて絶対あってはならないし、始めてしまったら後戻りができなくなってしまうのです。
遠い国の話ではなく、関心を持ち続けることが大事だと思っています。
村上しいこ
 
 
◇かつて、アメリカ軍の爆撃機による機銃掃射を受けながら、岡山の水田の中を泥まみれになって這い回りながら逃げ、九死に一生を得た十代の父。

彼の娘として生まれ、30年以上の長きにわたって戦争大国アメリカで暮らす私には、子どもはいません。
アメリカに移住してから今日まで、戦争のなかった時期はほぼ「なかった」と言えます。
戦争で戦って命を落としている兵士たちも「子どもたち」です。
戦地で死ぬ大半の若い兵士の親(よりも若干上)になった私にとっては、加害者も犠牲者もどちらも「世界の子ども」です。
これ以上、子どもたちを死なせるな!すべての国の兵士を死なせるな!と、私は叫びたい。
日本の政治家たち、今こそ、平和外交に尽力せよ! 日本よ、傍観者になるな!
小手鞠るい
 
 
◇『おとなはなぜ戦争をするの』(子どもの声を聞く児童文学者の会編 新日本出版)という本づくりに関わったことがあります。

2004年、いまから21年前のことでした。イラク戦争の時代のことです。第二次世界大戦以降の戦争を振り返ってみると「あれは、どの戦争だったか」と、正確に時系列で思い出すのに難儀するほど、私たちの歴史は、戦争の歴史だと言えるでしょう。前述の本が出たときから、長い時間が流れましたが、状況は良くなるどころか、まるで急な坂を転げ落ちるように、悪化の一途をたどっています。私たちは、子どもたちから、「おとなはなぜ戦争をするの」と問われたとき、どんな答えを用意することができるのでしょうか。
アジア太平洋戦争敗戦から80年、「核攻撃の犠牲者であり、軍事都市としてアジア侵略の兵站基地=加害者でもある」ひろしまに暮らし、「傍観者」にならないために声をあげること、いまこそもう一度、心したいと思います。飢えや恐怖に苛まれる子どもたちがいるかぎり、私たちは、黙っていてはいけない。
じりじりするような思いで、今年もまた、夏を迎えます。核兵器は、絶対悪。あらゆる戦争に正義はありません。
中澤晶子



◇「戦争が殺してしまう子供の数を誰が数えられるでしょうか?戦争は子供たちをしらみつぶしに殺してしまいます。この世に生まれた者たちも。生まれるはずだった者たちも。」
『ボタン穴から見た戦争 白ロシアの子供たちの証言』(スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ/三浦みどり訳/岩波書店)より

かつてホロコーストの記録を読みながら、なぜあのとき世界は沈黙していたのかと疑問に思ったものでした。今、同じ沈黙が子どもたちを殺し続けています。
どこに生まれようとも、すべての命は平等で、殺されてよい命などひとつもないのです。子どもたちを飢えさせ、小さな手足を吹き飛ばす。
どんなに取り繕ったところで、核爆弾もミサイルも無差別殺戮でしかなく、武力と権力ばかりが幅を利かせる世界の行き着く先は、地獄でしかない。
傍観者であることは、戦争に加担することです。
すべての戦争に反対します。
一日も早い停戦と、平和の実現への努力を切望します。
繁内理恵

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インドの雑貨

2025年06月26日 | Weblog
            

なぜか、インド。
行ったことが、ありませんが、藤原新也の『印度放浪』の中の情景が、脳裏をかすめます。

「ガンジス川に浮かぶ死体を喰らう犬」

ガンジス川には、山のような遺体が流れているそうです。
隣では、その聖なる川で、沐浴する人たち。赤い夕日。

まだ若かった、40代初め。
私は「時代の空気」「時代の感受性」を捉えたくて、出会ったのが、この藤原新也でした。

匂いや湿気や、夜の濃密さ。人間が蠢く気配。
それを濃密に描く、金子光晴に惹かれたのも、「時代の空気・感受性」を捉えるためでした。

その金子光晴の『マレー蘭印紀行』とも違う、でも時代の空気感や、匂いや、粘っこさまで伝わってくる文体でした。
それにすっかりやられてしまいました。
それも行ったこともない、インドという国に。

それ以来、片っ端から藤原新也を読み、実物を見てみたくなり、ある日、子どもたちが学校へ行っている時間。
銀座に、昔あった「旭屋書店」の道向こうのビルの2階にあった「みゆき画廊」で、彼がリアルに絵などを描くデモンストレーションが行われるという新聞記事を読みました。それで見にいきました。

彼の文体の美意識と、屈んで絵を描いているおじさんの姿は、どうも重なりませんでした。
当時は、藤原新也ファンは、男女問わずいて、たくさんの人たちが、彼が絵を描いているのを、眺めている姿を、後ろの方から見て、帰ってきました。

かれこれ、20年は、私は彼のファンだったと思います。
新刊が出れば買い、すぐに読む。
そして、その文章に打たれ・・・。

こうして私は、藤原新也の目を通して、インドを知り、チベットを知りました。
そんな思い出のインド。
まだ一度も行ったことはないし、これからもいきたいとは思わないでしょう。

私は、空気感としては、こういう世界が好きでも、リアルにその場に立つと、食べ物も、空気も、うまく吸うことができないのです。

アジアではシンガポールは例外でした。

ベトナムも、フランス領の時からある、ソフィテル・レジェンド・メトロポール・ハノイの旧館に泊まりたいから行っただけ。
黄色い大統領府も、ホーチミンの小屋も・・・。
ふ〜ん、そんなもの、っていう感じです。

基本、ミーハーなので、本で知ればそれが一番いいと、現地に立つと後悔するタイプです。
第一、現地のものが食べられません。
このままで、生涯、いくのだろうなと思いつつ、本の中だけでいいと、思ってしまうのですから、冒険心がありません。

そんなことを思い出させてくれた、インドの雑貨展でした。
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お米騒動

2025年06月25日 | Weblog
           



うちは夫婦で、2日に1合しか、お米を食べないので、あの「お米騒動」は、なんとなく他人事のように見つめていました。

ところが、お米の袋が少なくなりかけて・・・。
生協も、お米は出ていなくて「抽選」云々のペーパーが。

前回もAmazonで買ったので、今回もAmazonでと・・・。
見たら、
いつも買っていた青森産の5キロが5895円。これはAmazonプライムで、配達料無料。

一番安そうと思って買った、上のゆめぴりか5キロが、配達料を入れると、5442円。

進次郎さん、進次郎さん。
あの騒ぎは、一体、なんだったのですか?
いっときのパフォーマンス?

古米、古古米、古古古米・・・。
早口言葉のような、あの喧伝ぶりは、どこへやら・・・。
あれはいっときのファンタジー?
fool someone? 煙に巻いた? 国民を。


数ヵ月前に買った時より、お米はさらに1000円以上、値上がりしていますよ。
ちっとも安くなんか、なっていませんよ。
すぐにメッキが剥がれるのに、これだから、信じられない・・・。
外食産業のお米は、カリフォルニア米が多いそうです。昔より、お米を少しだけ日本風にして。結局、行き着くところは外米輸入?


今朝は、これからマンションの吹き矢の会。

今夜は、児文協の6月の理事会です

今回は、事前の、常任理事会は会議なし。
メール交換のみでした。
議論しないとなかなか難しいものです。

ですから、今回提出されている文章は、常任理事会の総意のものではありません。
提出された、個人の意見です。
それらを整理して、理事の皆さんに、わかりやすく、ご議論いただいたり、説明していただいたり・・・。

今夜の理事会の議長は私です。
あれだけの厚さの議題。
いかに時間をかけずに、けれど実りある理事会にするためには・・・。
やはり、提案書の事前整理が必須です。
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ずるした作文から考えたこと

2025年06月24日 | Weblog
            

             

昨日は、先日収録してもらった、YouTubeから、いい足りなかったことを突然思い出し、書きました。

今日は、その続きのようなお話しです。

本屋さんへ行くと、いろいろな傾向の本が並んでいます。
私は必ず、一番に児童書コーナーを見ますが、年々、スペースが小さくなっていて、それでもしがみついて見ています。
次が、文学コーナー。
あさのさん、すごい!
「No.6」ベスト10に軽く入っていて、平積みの高さがダントツ減っています。
児童書の世界から、すっかり大人の本の作家へ移行し、大活躍しています。

それで、つらつら見ていて考えたこと。
「暮らしを生きる」「丁寧に生きる」。
そのことが、この煩雑な日々の暮らしに、どれほどの精神的な余裕をもたらせてくれるのか。
写真、上のを手に取って読むとよくわかります。
逆に、写真2枚目。
「言葉」集です。

中でも売れているのが、ニーチェ。
・「自分は大したことがない人間だなんて思ってはならない。自分への尊敬が、はじめの一歩」
・「自分の他人からの評価など気にするな」

暮らしを丁寧に生きようとしても、うちなる自分の気持ちは、鬱々としたものがあります。
人間関係って難しい。そういう悩みの中を生きている人が多いってことなのかなと。
平積みになった本を見ていると思います。

自己肯定感。これは中でも一番多い言葉です。
今という混沌とした時代。とても大切な言葉です。

自己肯定感と自己顕示欲は違います。

自己顕示欲は、自分以外の人の気持ちが想像できず、偉いのは自分だけ。間違っているのはお前たち。そうした「自分・自分」だけを押し通す人。また自己顕示欲を満たすために自分の力ではできず、誰かに当たり前に依存し、たかり、自分の欲望を満たしているのにそれに気づかない人。その自己矛盾に気づかず、自分が一番と思っている人。

そういう人を見ると、「四の五を言って、人のお金の上で胡座をかくのではなく、まずは自分で自分の暮らしくらい稼ぎ出せ」と思います。

大切なのは、自己肯定感。それは他者との関係性をきちんと結び、その中で生まれる、自分への肯定感です。

ずるした作文で、埼玉県の作文大会に入選し、朝礼で表彰された時。
あの時の賞状を受け取るに、受け取れないようなヒリヒリ感は、今も私の胸に残っています。

多かれ少なかれ、そうした、小さな傷や、闇を抱えて生きている人が、こんなにたくさんいるんだと。
この「言葉集」など見ると、実感します。

でも、この年齢まで生きてくると、実感します。
大切に丁寧に生きていればそれでいい。人生が楽しければそれでいい。
そうした言葉の根底には、そういう他者への励ましが添えられています。

血圧が急降下し、母が亡くなる数時間前、冷たい手で、私の手をにぎりしめ
「立派な人になってね。上から、ずっと応援してるから」と言ったので、大爆笑。
「立派な人になんかに、なれない。でも、精一杯、生きては行くからね。応援していてね」
それが、母との最期の別れの言葉でした。

こういう本を見ると、思います。
大丈夫。地に根を張って、しっかり生きてさえいれば、みんな、大丈夫、と。
自分を見つめ、勉強していく中で、真実を見る目など、ちゃんと鍛えられていきますから。
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