太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

時々地均し

2020-12-21 08:19:54 | 社会観察
 暮れが近くなり助け合い募金の季節である。最近では大災害時はコンビニなどで募金箱が置かれている。キャッシュレス時代になり小銭が手元に無いので多分集りは悪いだろう。助け合いとお賽銭は違う。初詣の賽銭は神様仏様への感謝とともについこちらの頼み事もあるのでボランティアとは言えない。いわば対価の支払いである。ニュースになるような大それたことはしていないが退職した時記念にと思い郵便局まで足を運んで募金をした。海外支援であるが仕事柄結構海外で貧しい人達をみてきた。しかし国内ではあまり身近にそういう場面に出会わないし、そもそも先進国日本で募金に頼らなければならない社会、政治そのものがおかしいと思っていた。しかし今年はコロナで困っている人達の様子は容易に想像がつく。特に安定した職につけないひとり親のところは厳しいだろう。望んでそうなった人はいない、意に反してそういう境遇になった人達に努力が足りないとかあなたが選択した道ではなどと言ってはならない。少子化社会で一生懸命子供を育てているだけで褒めるべきである。社会がセーフティーネットを用意し周りも色々な意味で支援すべきである。年末になり宝くじが当たればまとめて、外れでも何某かは社会還元と思っている。決してこちらが余裕があるとかの意味ではないがより困っている人が居れば何となく罪の意識が芽生えてしまう。
 ちょっとした努力の差、環境の違いで格差が生まれるのは仕方がない面もある。しかしこの格差も度が過ぎると問題である。社会は時々地均しをする必要がある。それを思い出すのもコロナ禍の年末である。決して余裕のある生活をしている訳では無く子供達に遺せるものなど無い。しかし折に触れ、将来は何があるか分からない。3人兄妹だが、兎に角仲良くその時々で最も困っている者を残りの二人で助けよと言っている。自身も困難な時に姉や妹から助けられた思い出がある。嫁いでしまっていた姉妹だったが互いに心配し合ってきたと思う。3人というのは必ず多数決になり物事が決めやすいという面もある。昔はみんなで豊かにではなくみんなで貧しくの時代で格差という言葉は特殊用語だった。社会も家庭も時々均す必要があるというのが最近の思いである。勿論昔のようにみんなで貧しくなろうと言っているのではない。それに近いが。