太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

メガソーラー狙い撃ち

2020-12-06 08:36:20 | 日記
 新聞にメガソーラーの建設で住民と業者が対立している例が取り上げられた。住民側は災害への懸念や水源・景観の保護という主張で業者側は言うまでもなく事業(営利)性を追求する。多くは買取期間(20年)に見合った借地だろうが地主側にも生産性の上がらない未利用地を貸与すれば儲かるという利点がある。一方、荒廃地であっても灌木や雑草は自然を感じる。そこに黒灰色の人工物が設置されるから見た目の違和感は当然だろう。昔色を変えた太陽電池が開発(といっても簡単なのだが)されたことがある。あまり売れなかったように思う。太陽電池の表面は反射防止膜が形成されており(一部は微細なピラミッド構造のテクスチャーという技術だけのものもあったり特定の材料で最適厚みにすると青色になるものもあるが)この膜は干渉膜の発色をする。水溜まりに油を垂らすと虹のように様々な色が見えるがあれと同じである。簡単に言えば膜厚と屈折率よって色が変わる。反射防止膜の形成工程では色が様々に変化していく様子が観察できる。本当に鮮やかな金色とか人工とは思えない美しいグリーンとか赤なども作ろうと思えば簡単である。何故作られないのか、反射を最も低く抑える厚みにするとそれが黒灰色になる。要は最も変換効率を上げる(反射防止効果でのコストダウン)ための膜厚にした結果が今の色である。砂漠では茶系統の色、野山ではグリーンにすることも技術的には可能だが景観とコストがバーターできるものかどうか。
 景観条例である程度建設を抑制している自治体もあり、逆に未利用地の有効活用のためメガソーラーを誘致する自治体もある。また業者のみならず地主の権利をどう法的に規制するかも問題である。地主が景観のため建設反対の人達にそれなら賃借料の20年相当分を負担してくれと言ったらどうなるか。この問題は当事者間では解決しないだろう。行政が仲立ちして収めるしか手はない。一方で土地の借地料もどんどん値上がりして事業性が確保できる適地は相当少なくなったとも聞く。強引な開発問題はやがて収まるという楽観論もある。先日まではFITの買取単価が高過ぎて国民負担(電気料金)が増大するというネガティブキャンペーンが繰り広げられた。今度はメガソーラー=環境破壊というレッテルが貼られて印象操作がなされるのだろう。菅義偉首相は所信表明演説で「温室効果ガス2050年実質ゼロ」を表明したところだ。世界からは相当遅れた表明だがその実現に太陽光発電の普及は必須条件だろう。儲かればしかも法律違反でなければ何をやっても良いとは思わない。問題のあるメガソーラーを引き合いに出して再エネ全体を委縮させるような動きも警戒すべきである。アマゾンの熱帯雨林を破壊する開発と同じ矛盾を抱えていることは確かである。
 メガソーラーと一括りで論じるのではなく、何処そこでこのような問題があるとか、このように解決したという具体例を持って報じる姿勢は必要だ。新聞掲載記事は個別事例を掲げていたがこれはまだ常識的である。メガソーラー⇒環境破壊⇒景観破壊⇒太陽光自体悪という簡単な印象操作は知恵を出し合って防がなければならない。太陽光発電シニアであるが環境問題とエネルギー自給のために何が何でも太陽電池は正しいとは思わない。退職後少し離れて冷静に周りを見渡すと、あるいは専門家の意見を聞いてもそれはやり過ぎでしょうとか岡惚れでしょうと思う事例は沢山ある。50年に向けて知恵と良識が試される。