太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

セルロイドの下敷き

2019-07-13 08:08:40 | 思い出話

小学2年生の時だった。街の小学校から新しい先生がやってきた。中山先生という。今思えば吉田拓郎の曲「夏休み」に出て来るような思い出である。時代的には二十四の瞳の方が近いだろうか。丁度結婚したばかりの先生だった。良く通る声で傍を通ると少し良い匂いがした。これがきっと街の匂いだろうと思った。田舎の学校だったから新任の先生は村中の評判になる。直ぐに街に戻ってしまうんじゃないかとか、新婚らしいから子供が生まれたら辞めるだろうなとか、その先生が自転車で通るときなど暫くは噂の種だった。それでも1年間は辞めることなく田舎の山猿相手に何時も朗らかに授業を進めた。

書き取りの時間だったと思う。早く書き終えてすることもないのでセルロイドの下敷きを両掌の間に挟んでポコポコという音を出して遊んでいた。その時、パカーンという大きな音とともに下敷きが真ん中から二つに折れてしまった。あまりに大きな音がしたのでクラス中がこちらを見た。先生が、割れるんじゃないか、でも頭のいい××ちゃんならそれくらいの事は分かっていると思っていたのよと言われた。先生にもリズミカルな音は届いていたのであろう。「丁度真ん中から二つに割れたからまだ使えるよ」と言い訳にもならない言い訳をした。特にこれといった出来事は無いのだがこの先生には随分可愛がられたように思う。あれほど優しい先生は後にも先にも出会っていない。その後こちらが転校したので会う機会は無かったのだが高校1年の夏休み、田舎の山猿仲間が同窓会を開くというので10年ぶりくらいに出掛けた。特に中の良かった5,6人で中山先生の家に行ってみようとなった。

自転車で2時間くらいかかるところに住んでいた。幸い先生は在宅で大変喜んで迎えてくれた。こちらの顔を暫く見つめたあと、××ちゃん?と名前を呼んだ。10年も前の、たった1年間だが名前を憶えていてくれた。旦那さんも外出から帰ってきて話に加わった。高校の先生をしているとのこと。中山先生が旦那さんに一人づつ紹介してくれた。何という高校?と聞かれたので答えると、あのあたりでは1番の高校だなと言われ、すかさず中山先生が、この子は子供の頃から良く勉強ができたんですよと優しいフォローをしてくれた。遠く離れた高校を知っているのに驚き、ご存じですかと聞いた。高校の先生は交流を兼ねて遠くの学校に研修で行くことがあるとのこと。行ったことがあるんだよ君の学校にと言われた。懐かしさとともに何だか恥ずかしいような嬉しいような気持ちになった。現在、中山先生が存命かどうか知らない。しかし当時の中山先生は今の自分の子供くらいの年だっただろうと思うと時間がたつのは早い。セルロイドは石油系のプラスチックではないが可燃性が高く危険ということで姿を消していった。今ではポリエチレンがその場にあるのだろうか。もう死語に近いセルロイド、半世紀以上も前の思い出である。



コメントを投稿