朝起きると雲ひとつなく抜けるような青空。こう書くと続きは何だか刺激的なことが起こりそうな予感のする1日となる筈だが。木の葉1枚揺らす風もなく朝7時だと言うのに汗が出て来た。砂漠に迷い込んだが如く昼間の酷暑が容易に想像できる朝である。
裏の新築工事現場もいよいよ最終段階か。外壁の工事が始まった。多分ベトナム語だろう、大きな声が飛び交っている。見ると足場に何人かがとりついている。親方の日本語は一切聞こえないから現場は任されているのだろう。工具の使い方や工事手順をよく覚えたものだ。連日の猛暑だが内装工事に入ってからは日本語以外の大声が飛び交う。建築現場だから大声を出さないと危ない。怪我防止だろう長袖長ズボンの暑そうな恰好である。過酷な労働環境だ。
釣り場近くの漁港でも帰ってきた船からはアジア系の漁船員が大勢降りて来る。我々は外国で獲った魚を食べているのではなく外人が獲った魚を食べている。釣り場の法面石垣の間に手を突っ込んで何やら採っている婦人が居た。時々波がくるのでずぶ濡れだ。それでも一生懸命探している。何が採れるのと聞くとバケツから小さな巻貝を見せてくれる。禁漁の貝ではない。食べられるのと聞くと、おいしいよ、晩のおかずとたどたどしい日本語で答える。何処からきたのと聞くとハルピンという。ハルピンに海はないでしょうと言うと、でもこの貝は知っているよ。帰りたいですかと尋ねると、お金が無い、まだあと4年働かなければと。家のお隣はアフガニスタンの家族が結構長く住んでいる。こちらは裕福なのだろうか高級車に乘っている。例外だが。
それぞれの人が遠く国を離れて暮らしている。ひと昔前は黒人の人が多かったが今は殆んどアジア系の人達だ。まだ日本にお金を稼ぐという魅力があるのだろうか。子供の頃には想像もしなかった場所で苦労して暮らしているのだろう。真面目に働いているこの人達を見ると共生というより国は自国民が生きて行ける環境を作れと言いたくなる。誰が好き好んで思い出の山河や親兄弟親戚から遠く離れて暮らしたいものか。盆踊りよりも村の祭りが懐かしいだろう。日本にも海外移民の時代はあった。しかし国が豊かになるにつれてなくなった。共生、共生と叫ばれるが出稼ぎや難民を輩出する国の責任を問う声は少ない。これは明らかに国の責任である。政治の責任である。日本としては自助努力を支援(ODA)することが遠回りのように見えて意外とこの問題解決の近道と思う。出稼ぎをしなくて済む国になることを切に願う。