太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

習い性となって

2021-07-18 07:33:10 | 日記
 梅雨があけて夏休みに入る頃は子供らにとって1年でもっとも心弾む時期なのだがコロナで可哀そうである。朝のラヂオ体操もないのだろう(時代的にとっくに無い?)県境を跨ぐ移動は自粛を求められているからいっそ県境に沿ってぐるりと回ってみるのも良いかも知れない。この県に住み始めて30年以上経つが行ったことのない市町村が殆どである。県レベルでは秋田、岩手、新潟、岐阜、島根、山口、佐賀は未だ行っていない。行ったことがあると言っても殆どは仕事絡みだから趣味での旅行は片手くらいしかない。海外は30ヵ国くらいは行ったが自腹はゼロである。従って国内外ともに名所旧跡や自然の絶景など殆ど訪ねたことがない。今まで一番感動したのは何処か。阿蘇の火口を見た時と初めて富士山を見た時である。どちらも修学旅行だったが。 
 休みが楽しめないとか旅行に行かない理由を考えてみると、何処に行こうが長い休みがあろうが何れ元にもどらなければならない、仕事であったり家庭であったり。それが嫌なわけでは無かったが異界の経験は所詮寄り道に過ぎないという思いが何時もあった。気分転換はもう一度転換して元に戻らなければならないから recreation( 娯楽 として自由時間に行われる、自発的・創造的な様々な 余暇 の活動のこと)しっぱなしにはできないのである。今特に戻らなければならに場所は無い。自由に何処にでも行って、自由に時間を過ごそうと思えば可能である。でもやらないのは習い性となってしまったからだ。何とも貧乏性である。
 昨日は市民講座の日だった。講義は「米・イラン対立の行方」で現役の若手大学教授が講師である。論旨は米が介入するほど中東の無秩序地域が拡大するというもの。過去の歴史を紐解きながら如何に米が理不尽な介入をして今に至ったかを解説した。大本は石油や天然ガスの利権だったが今は核開発による安全保障に軸足が移っている。中東全域の宗教対立がさらに周辺諸国を巻き込んで複雑な関係を作り出している。ちょっと聞いたくらいでは正邪など判断できないが少なくとも講師は米に対して良い感情は持っていない。要は正当な理由なく介入してきたと御用学者なら絶対言わない立場をとっている。中東を専門とする学者は多いが日本も石油の関係から日本に輸出をしてくれる国こそ友好国として体制を評価してきたがそればかりではないだろうと思わせる講義だった。中東協力センター主催のシンポジウムに何度か参加したことがあるが来賓はVIP扱い、おべんちゃら合戦のようなシンポだった。他人のことは言えない。自らも太陽光発電はお宅の国にこんなに役に立ちますよと参加国相手にリップサービスにこれ努めた。実際の中東で太陽光が注目され出したのはそれから10年後くらいで、最初は雇用確保のため、次が石油は輸出に回して外貨を稼ぐため省エネ機器として、次は技術移転を目的としたものだった。国内のある学者グループは日射条件の良い広大な砂漠に巨大なソーラー発電所を作り世界を送電網で結ぼうというもの。私たちは砂漠でソーラーポンプで水を汲み上げて(大深度に水はある)まずオアシスを作り換金作物を育て、次は水を電気分解して水素を作り食料とエネルギーの一大供給基地を作ろうというものだった。どちらも実現はしなかったが、理由は単純で、それが砂漠でなければならないという理由が説明できない、また一体誰がそれを必要としている(需要)という基本的なことがすっぽり抜けて夢物語を作り上げていたのだ。それでも夢は必要なのだろう。昔は砂漠、今は洋上を期待している。