太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

これだけはやっぱり許せない

2020-03-15 08:53:25 | 社会観察

久し振りにラーメン屋に行った。ここの鳥白湯ラーメンは実に旨い。これはインスタントでは出せない味である。昼少し過ぎていたので店は空席もあったが一人なのでカウンターに座った。一つ空けて隣で若い人が食べている。何度も水を飲んで凄く汗をかきながら最後のスープを飲んでいる。ところがこの若者途中で何度も鼻をかむ。それも相当な勢いで轟音を出しながらである。食事の途中や直後で鼻をかむことだけは止めて欲しい。どうしてもならせめて音が出ないように気を付けて欲しい。あれ程大きな音を聞くと内臓まで飛び出してしまうのではと思ってしまう。何よりかんだ後のティッシュの中を想像してしまう。こちらはまだ食べているのに。その若者が去った後はテーブルの上にティッシュの山が築かれていた。店の人も後片付けは大変だろう。確かにラーメンは鼻水が出そうになる。しかしそこには最低限のエチケットというものがあるだろう。どうしてもラーメンの時は鼻呼吸となり出やすいのは分かるのだが。家でもかんでいるのだろうか。

座席の集団で大声で話すのも迷惑だ。こちらは孤独のグルメ宜しく頭の中でナレーションを考えながら食べているのについ話に引き込まれてしまう。店内を走り回る子供などいたら最悪である。どうみても頭の悪そうなガキであり親はそれ以上に馬鹿面に見えるの偏見かも知れないが。最近感心するのは何処に行っても店員のしつけが実によくできているように思う。携帯電話のアンテナショップを除いてはである。肝心の鳥白湯はどうだったか。期待を裏切らない。やはり偶にはプロの味を楽しんで味覚の老化を防がなければならない。普段インスタントラーメンを食べるからこそプロのラーメン屋の旨さが引き立つ。東京に出た時はつけ麺のやたら美味しいところがある。つけ汁を最後はゆで汁で薄めてくれるサービスがある。これがまた実においしいスープになる。地元で同じ店名があったのでチェーン店かと思い入ったことがあるが全く別物だった。海外で食べたもので記憶に残っているものはブログを始めた頃結構書いたように思う。美食というより勇気の要る食べ物が多かった。猿燻に鰐ブツの世界である。

人に不快感を与えないようにという躾けは子供が屁理屈をこねて反抗するより前に行わなければならない。多分保育園までの年齢だろう。理屈抜きに刷り込まれた意識は簡単には抜けない。野生動物のドキュメンタリーなど見ていると余計そう感じる。多くの動物は親の真似をする時代だけで子供を卒業する。人間はその後に屁理屈の時代に入るからややこしい。


コロナの陰で

2020-03-15 08:53:25 | 社会観察

新型コロナの感染拡大をマスコミは連日大報道をしている。お蔭で影の薄くなった事件があり今日はそちらで。原発関連工事に絡んで金品受領問題を起こした関電について第三者委の報告が出た。昨年10月の社内調査で23人が地元自治体の元助役から金品を受領したとの報告があったが今回調査で52人増えて全体は75人に及んだという。当然贈った側の金は巡りめぐって電気料金に上乗せされるだろうから儀礼の範囲などの言葉は不適切である。極めて公共性の高い電気事業で1円たりともあってはならないことである。それにしても52人はこれほどの問題になりながら社内調査の段階ではバレなきゃ問題にならないと口を噤んでいたのだろうか。敢えて今回の問題を原発関連事業と切り離して考えてみる。工事業者が発注者に過剰な接待を行うことは原発工事に限らずよくある話である。たまたま今回は工事が原発関連だったと言えるかも知れない。そうであるなら問題はどこにあるのか。受け取る側の会社の体質(ガバナンス)に尽きる。腐った会社と社員と言わざるを得ない。この種問題が起こると真面目に働いている社員も居ると擁護する発言が必ずある。そりゃそうでしょう、だからと言って許される問題ではない。黒部の太陽を見て感動した分はどうしてくれる。

こんな時でもマスコミは原発が動かなければ代替火力で幾らかかるとか如何にも原発が安いという印象操作に躍起である。確かに原発は安い。調達済みの核燃料を使い、ある程度原価償却の進んだ原発を動かした時はそうであろう。廃炉や核のゴミ処理などバックエンド、もし事故の場合の補償保険などライフサイクルコストではない。言い換えれば一瞬の状態を切り取ってコストを安いと言っている。安定電源でもない。定期点検のための代替電源は必要であり調整火力が無いと動かせない定格出力しか出せない不器用な電源である。持っているから使わなきゃ損という考えは瞬間の動作だけを考えている。

52人にこんな事を今更言っても仕方がないのだが彼らだけが悪いわけでもないだろう。もっと悪いのは未だに口を噤んでいる他の原発関係者がきっと居る筈である。他の工事案件でも同じことがあるだろうと言ったが、リニアとか豊洲移転を指している訳ではない。本四架橋の時も似たような話を聞いた。しかし原発関連工事は社会的に多少無理をしなければ進められないだけにこの種事件要素を孕んでいる。辺野古埋め立て工事を名指してはいない。関電の事件の教訓は人生台無しにしてしまうような仕事に就きたいと思う人が居なくなることだ。関係者はこのような事件で原発自体の自壊進んで行くことを悟らなければならない。ガバナンスは影などできない透明性が必要である。