小池知事の口からレインボーブリッジすら閉鎖できないのに首都封鎖という言葉まで飛び出してきた。コロナ感染拡大での可能性を示したものだがlockdownという横文字まで使うところは知事らしい。次はcurfewだろうか。他国の例を見るとあながち杞憂とは思えない。ある時点では警鐘という形で危機意識を煽り、次は殊更ことを矮小化して安心感を植え付ける。最後は本当の危機を知らせる。もう警鐘ではなく本当の危機の入り口なのだろう。人生という暗くて長いトンネルは誰も生きては出られやしないという不吉なセリフまで浮かんでくる。自身は万が一のことがあってももう諦める、あるいは諦めよと言われる年代に入ったが若い人には試練である。
オリンピックもやはり延期の方向で動き出した。つい数日前、昼のワイドショーで元女子柔道メダリストやJOC元参事の春日良一氏のコメント、開催強硬論がネット上で猛烈にバッシングを受けていた。彼らを擁護する訳ではないがこのワイドショーは政治評論家の田崎と伊藤を同時に出演させるなど世論の賛否両方をバランスするよう配慮している。常識と非常識、賢者と愚者を対峙させる構成であることを忘れてはならない。オリンピック開催については延期論者が発言を控えめにしていたから開催強硬論ばかりが目立ったこともある。彼らが本心から言っているとは限らない。言えることは大方の元スポーツ選手はどの競技であっても筋肉化した脳をほぐすのは相当時間がかかるということだ。この日のために一生懸命練習してきたアスリートが可哀そうといった意見もあるが、可哀そうだから開催しようという話ではない。厳しく言えばアスリートは自ら選んだ道である。代表選手といえども強制的にやらされているわけではない。アスリートである前に社会人である。経営破綻する会社が出て来ても働くサラリーマンが可哀そうという意見はあまり出てこない。延期になっても、代表選考の基準が変わっても一流アスリートなら新たな挑戦が出来る筈だ。この機(通常開催)を逃したら人生全てが終わる訳でもない。もしも選手生命がピークを過ぎてもワイドショーのコメンテーターやスポーツキャスターなら務まる。今TVに引っ張りだこの元なんとかより余程素晴らしいコメントができると期待する。
最近感心したのは北の富士氏の相撲に関するコラムである。内容より文章構成力が素晴らしい。最後はいつもユーモアを交えた文章で締めくくる。かなり文才がある。青汁で稼げないから別の才能を発揮している。朝の山が大関昇進するということで舞の海氏が目安の33勝ではなく28勝で大関になりその後立派に横綱まで務めた人も居ると言ったら自分のことであり北の富士氏が本当に怒っていた。文才どころか発言のTPOすらわきまえていないのかと呆れた。何事も街角インタビューのようにバランスを考慮して出演者の人選を行っていると知りつつ、つい片側にシンパシーを感るのはまだまだ自身が未熟者である証拠だろうか。