サラリーマン人生の後半は内陸型工業団地内に新設された太陽光発電システム研究所に勤めていた。先輩から責任者を引き継いだ時50名足らずの職員ではあったが家族同然の関係であり試験設置された設備や建物も家屋や家具のように、あるいはそれ以上に大事にしていた。東日本大震災より相当前の話である。震度5強の地震に見舞われた。建物はギシギシと唸るし倒壊するかと思った。ふと窓の外を見ると1階に居た総務部員が全員真っ先に外に飛び出している。日頃避難訓練を指導している部門である。しかも非常持ち出しなどなく皆手ぶらである。幸い大きな損傷もなく地震は収まったが、総務の連中にお前らは家族同然の社員をほったらかして我先に逃げたと叱責したら無事でなければ指揮もとれなくなると最もらしい言い訳をした。これはもう自分が全体の指揮をとるしかないと思った。それからは毎晩寝る前にシミュレーションをした。
大災害で物流は途絶え多くの市町村では飢餓の為大量の死者が出る。中には地域全体が死の町になってしまったところもある。このままでは誰かが生き残らないと日本人は絶滅する。研究所は敷地が8000坪くらいあり、半分の4000坪は更地のままである。休日は野球をしたり平日でも昼休みなどゴルフの練習をする者もいる。生き残るためには食糧と水の確保は喫緊の課題でありこの更地を上手く利用しなければならない。周囲は畑に囲まれており農家の出の社員も何名か居る。空いている更地を耕作地にして彼らの知恵を借りれば幾ばくかの野菜や果物は作れるだろう。時々敷地内には近くの山林から雉が飛んで来ることがある。最初に見た時は孔雀が逃げてきたと大騒ぎになったがオスの雉と分かった。工業団地内の道路では時々狸を見掛けることもあった。実験用に作ったプールでは放した金魚がやたら増えて大きさも緋鯉かと思うくらいに育った。肉野菜の自給は何とかなる。
水はソーラーポンプの実験用にボアホールタイプの井戸を掘ってあった。後に地下水の汲み上げ禁止地域と分かったので使えなかったが井戸は栓をして閉じたままだが多分使える。もし湧水量が足りなければ逆浸透膜の淡水化装置もあったから海水の淡水化もできる。ソーラーカ-トで汲みに行けば良い。途中でバッテリーが上がったら仕方ない止まって天候を待ちチャージする。ただ淡水化装置のメンブランのフィルターは目詰まりするだろうからメンテは怠れない。電源は実験用に設置した太陽電池が100KWくらいあった。昼間は自立運転しても良いし蓄電池も大量にあったから夜も電源にも困らない。最低限社員とその家族はこの研究所を要塞のようにして匿ってやろう。何せ至る所で食糧や水の奪い合いで暴動が起こっており食糧や水があると知れると暴徒の襲撃にいつ会うかも知れない。特に夜電気を灯していると目立ちやすいから窓は目隠しをしなければならない。オーストラリアに売り込む予定で実験していた太陽電池つきのエナジャイザー(電気柵用の高圧発生器)がある。これを敷地の周囲に張り巡らせて槍衾の代わりにしよう。原発や高圧鉄塔の侵入防止に売れていた太陽電池付き赤外線警報器も使えるだろう。不幸にも想定外の雨が続いたらどうなるか。車の解体業者からダイナモを買って来て自転車に取り付けたものがある。実験すると脚力の強い者で30Wくらい出力する。ソーラーと人力のハイブリッド自転車を作ろうとしたものだ。手の空いている者には兎に角この人力発電自転車を漕がし充電する。工夫をすれば何とか100~150人くらいは要塞に住むことはできるだろう。地震が頻繁に起こった頃、誰にも言わなかったが本気で考えた研究所の使い道である。因みに要塞では指揮命令系統がしっかりしていることが絶対条件である。私を将軍と呼ばせるにはちょっと烏滸がましいのでキャプテンにした。暫く忘れていた時期はあるが福島原発が水素爆発した時は再び思い出した。
また忘れていたが今回コロナ感染で日本が壊滅状態になったら同じようなことになるだろうと恐ろしい想像をしてしまった。一つだけ残念なことは退職しているので要塞には入れて貰えないだろう。家から歩いても小一時間の場所なのに外敵と見做されてしまうだろう。OBも入所できるといういうルールを作っておけば良かった。