太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

何事も工夫次第

2020-03-04 08:48:37 | 日記

ためしてガッテンとは中々行かないが工夫次第でできることも結構ある。昨日は暖かく天気も良かったので久し振りに釣りに出掛けた。残念ながら海水はまだ冷たく魚のアタリもない。近くで釣っていた人の何人かに話を聞いてもやはり釣れていない。この時期何が釣れるのかも良く分らないが潮風に当たっているだけでも心地よい。ダメ元で何時もの河口の堤防に寄ってみた。残念ながら誰一人釣っていない。やはりこの時期は難しいのだろうか。ふと肩口を見るとジャケットが5cmくらい破れて中のダウンが飛び出してきている。何年も愛用しているもので生地も薄くなってきているが、海からの帰り道松林の中で引っ掛けた気もする。誰に会う訳でもないし、古いジャケットで惜しくもないが何とか裂け目が塞げないかと考えた。

スタローンが腕の傷を自分で縫っている場面を思い出した。ハリス(糸)のついた釣針がある。小さな針を選んで服を脱いでやってみた。結構上手く行く。しかもハリスは透明だから目立たない。臨機応変というのはこういう時使うものだ。縫っている間時々置き竿の先を見ていたが結局ボウズだった。人に会う機会が減ると一番気にしなくなるのは服装など身に着けるものである。清潔感を失ってはならないが継ぎ当てなどは一向に気にならない。しかも何かを修理することは大好きなので釣針を縫い針にするというアイデアだけで自己満足に浸れる。ジャケットの下のセーターは虫食いだらけになって方々を糸でつまんである。ジャケットもセーターも充分着古した。今冬で役目は終えるつもりだ。決してケチではない。箪笥の中には結構新品が入っている。個人消費が伸びないのはこういう初老のせいかも知れない。家の中でどこか修理するところがないかと目を光らせている修理好きなのである。ただ殆どの修理は元通りには行かない。ガレージのモルタル床に小さな穴が開いていたのでセメントを買って来て埋めたら白いセメントで目立ち過ぎた。モルタルと同色を買って上塗りをしたら目立たなくなったが逆に盛り上がってしまった。壁紙が少し捲れ上がっていたので接着剤で補修したら接着剤が変色した。梅はやはり切り過ぎたか今年は5,6輪しか花が咲かなかった。梅一輪一輪ほどの暖かさ(服部嵐雪)よりは暖かいのだが。さて柿はどうなるか。イチジクはだめだろう、芽すらでていない。

春の嵐はやはりコロナの感染拡大か。クラスターと言う言葉を聞くのは久し振りである。学生時代、物が凝固するとき最初に核ができてその周りが固まって行く。これをクラスターと言って液体の方々にできる。やがて全体が固まる。ネパールに行った時向かいの山肌にへばりつく様に何軒かの家が集まったところが諸所にある。これをクラスターと言って全体で村を構成すると教えられた。同じく30年くらい前、ある国会議員の方から砂漠化防止のために太陽光発電が使えないかという問い合わせがあった。先ずソーラーポンプで地下水を汲み上げる。砂漠でも200mくらい掘れば水はある。これを灌漑用水として農作物を育てる。人が集まるのでオアシス村ができる。これをクラスターと呼び砂漠を取り囲むように開発していく。オアシスクラスター同士を水路や電気が融通できるように連携し砂漠を取り囲むようにし、この輪を内側に狭めて行く。中心部まで行くと高級な換金植物を育て汲み上げた水を電気分解し水素を作る。最後に砂漠は世界の食糧とエネルギーの供給基地化する。アメリカで教鞭を取っていた大変優秀な議員さんだったが議員に嫌気がさしたのか次の選挙に出なかった。初めて議員会館に行った時の思い出である。次は10数年前だろうか。再エネ普及のプロセスでまずスマートシティのような核となる都市(クラスター)を作る。クラスターには地域固有の特徴を生かし、各種再エネが導入され蓄電都市もある。このクラスターを繋ぎ電気、エネルギーの相互融通を進める。コンセプトもパワポの絵も素晴らしいものが出来たが「誰がそれを進める(必要性があり投資をする)」という担い手不在という壁で頓挫した。

コロナのクラスターだけはありがたくないコンセプトである。