豚にまつわる話(第2話)です。この農場に滞在した80日間で3回豚の出産に遭遇しました。と言ってもお産の現場に立ち会ったわけではありません。
豚に給餌するお話は前回の記事に載せました。給餌に向うと豚達は我先にと私に近寄って餌をねだるのです。しかし、ある日の夕方、いつものように給餌に行きましたが集まってくる親豚の数が一頭足りません。まれに子豚に哺乳中で遅れてくる場合もありますが、いつも親豚の頭数はチェックしており、さらに給餌中の区画内巡回でも状況を確認しています。
その日の場合、区画内(フィールドとも呼びます)の外れの方に一頭の親豚が餌を無視するかのようにウロウロとしていました。こうした状況は普段では見られない光景であり、何か特別な状況下にあると感じた次第です。
夕方の給餌を全て終えた後、奥さんに一頭の親豚の様子がおかしい旨を伝えました。まだ私がこの農場に入って3週間ほど経った頃です。奥さん曰く「今夜、豚のお産があるかも知れない」でした。豚自身がその兆候を感知し精神的にいらだっているとの判断です。ちなみに、豚の出産に立会いが必要なわけではありません。
奥さんの予想通り、翌朝の給餌の時に豚の出産を確認しました。テントの中に親豚が横たわり生まれたばかりの子豚が乳を吸っていました。近寄って頭数を確認しますが重なり合っているので9頭はカウントできましたが、下に隠れている子がいるかも知れません。また、こうした直後の母豚は気が立っているので接近には注意が必要で、これ以上の無理なカウントはしないのが懸命です。
豚の出産を確認した場合、何をさておき奥さんに連絡することが求められていますので、早速知らせた次第です。
それから2~3週間後にも同じような状態が観測されたので同様な対応をしました。果たして翌朝、豚の赤ちゃんを確認することが出来ました。この時は11頭ぐらいカウント出来ました。そしてもう一回、同様な機会に恵まれました。何れも私が「異変」に気づき、奥さんに事前に知らせることが出来た次第です。
奥さん曰く「ジローはグッド・ファーマーだ」と。内心、毎日豚に接していれば誰でもその異変・兆候に気が付くものだろうと思いましたが、そう言われれば悪い気がしないのは正直なところでした。
そしてハウスピッグ「ネフェ」の話です。時間軸上の流れで少し遡ります。私が牧場に入ったのが4月下旬、直後に生まれたばかりで元気のない子豚が母屋に搬送されてきました。親豚からの授乳が出来ないらしく人間の手でしばらくは育てることになったのです。体長は30cmぐらいでした。室内に置かれた籠に寝かされ哺乳瓶で牛乳を与えられていました。
10日間も経つ頃には元気な様子を見せ、そのころ「ネフェ」と言う名前をつけてもらっていました。ダルメシアンの犬2頭や5匹のネコともいさかいなく共同生活が続けられました。犬やネコは躾ができていて室内で用足しすることは全くありませんが、このネフェはお構いなし。ひどい時には、朝、リビングルームに行くと木製の床上に数ヶ所に渡ってその後が残されているのです。リビングはキッチンそのものでもあり、いやはや参りました。多かれ少なかれそれが毎日のようなことであり、しばしば、その掃除役は私にも廻ってくるのであります。
そうこうしている内に、ネフェに与える餌はドッグフードになり、見る見る成長して行きました。2ヶ月ぐらいが過ぎた頃には体調70cmぐらいで、抱き上げるには困難な体重(おそらく25kg以上か)になっていました。
そして、このネフェを「群れ」に戻そうと言うことになり、ある日、豚のフィールドに連れて行かれました。同じ豚であり、実際の母豚もいるし兄弟豚もいる筈なのですが、全豚がよそもの扱いにするのでした。
時間が解決してくれるのではないかとの淡い期待もありましたが、ネフェは仲間である筈の豚に追い払われ、追っかけられ、こつかれ・・・傷だらけになってしまいました。数日で限界との判断が下されネフェはフィールド外に救出された次第です。この時はまるで死んだように元気なく、倒れて寝ているばかりでした。本当に可愛そうなネフェでした。
こうした家畜(動物)に関する生態については重々承知している筈なのに無謀な賭けに出たのでしょうか。結果的にはやはり「群れ」に戻すことは叶いませんでした。
私がこの農場を離れる7月中旬にはネフェは元気を取り戻してはいましたが、この先どうなるのか。全く別の区画を作ってそこに一頭だけ入れる予定だと奥さんは言っていました。その新区画を見る前に私はその地を離れました。今、ネフェはどうしているのでしょうか。写真はネフェです。 ~続く~
豚に給餌するお話は前回の記事に載せました。給餌に向うと豚達は我先にと私に近寄って餌をねだるのです。しかし、ある日の夕方、いつものように給餌に行きましたが集まってくる親豚の数が一頭足りません。まれに子豚に哺乳中で遅れてくる場合もありますが、いつも親豚の頭数はチェックしており、さらに給餌中の区画内巡回でも状況を確認しています。
その日の場合、区画内(フィールドとも呼びます)の外れの方に一頭の親豚が餌を無視するかのようにウロウロとしていました。こうした状況は普段では見られない光景であり、何か特別な状況下にあると感じた次第です。
夕方の給餌を全て終えた後、奥さんに一頭の親豚の様子がおかしい旨を伝えました。まだ私がこの農場に入って3週間ほど経った頃です。奥さん曰く「今夜、豚のお産があるかも知れない」でした。豚自身がその兆候を感知し精神的にいらだっているとの判断です。ちなみに、豚の出産に立会いが必要なわけではありません。
奥さんの予想通り、翌朝の給餌の時に豚の出産を確認しました。テントの中に親豚が横たわり生まれたばかりの子豚が乳を吸っていました。近寄って頭数を確認しますが重なり合っているので9頭はカウントできましたが、下に隠れている子がいるかも知れません。また、こうした直後の母豚は気が立っているので接近には注意が必要で、これ以上の無理なカウントはしないのが懸命です。
豚の出産を確認した場合、何をさておき奥さんに連絡することが求められていますので、早速知らせた次第です。
それから2~3週間後にも同じような状態が観測されたので同様な対応をしました。果たして翌朝、豚の赤ちゃんを確認することが出来ました。この時は11頭ぐらいカウント出来ました。そしてもう一回、同様な機会に恵まれました。何れも私が「異変」に気づき、奥さんに事前に知らせることが出来た次第です。
奥さん曰く「ジローはグッド・ファーマーだ」と。内心、毎日豚に接していれば誰でもその異変・兆候に気が付くものだろうと思いましたが、そう言われれば悪い気がしないのは正直なところでした。
そしてハウスピッグ「ネフェ」の話です。時間軸上の流れで少し遡ります。私が牧場に入ったのが4月下旬、直後に生まれたばかりで元気のない子豚が母屋に搬送されてきました。親豚からの授乳が出来ないらしく人間の手でしばらくは育てることになったのです。体長は30cmぐらいでした。室内に置かれた籠に寝かされ哺乳瓶で牛乳を与えられていました。
10日間も経つ頃には元気な様子を見せ、そのころ「ネフェ」と言う名前をつけてもらっていました。ダルメシアンの犬2頭や5匹のネコともいさかいなく共同生活が続けられました。犬やネコは躾ができていて室内で用足しすることは全くありませんが、このネフェはお構いなし。ひどい時には、朝、リビングルームに行くと木製の床上に数ヶ所に渡ってその後が残されているのです。リビングはキッチンそのものでもあり、いやはや参りました。多かれ少なかれそれが毎日のようなことであり、しばしば、その掃除役は私にも廻ってくるのであります。
そうこうしている内に、ネフェに与える餌はドッグフードになり、見る見る成長して行きました。2ヶ月ぐらいが過ぎた頃には体調70cmぐらいで、抱き上げるには困難な体重(おそらく25kg以上か)になっていました。
そして、このネフェを「群れ」に戻そうと言うことになり、ある日、豚のフィールドに連れて行かれました。同じ豚であり、実際の母豚もいるし兄弟豚もいる筈なのですが、全豚がよそもの扱いにするのでした。
時間が解決してくれるのではないかとの淡い期待もありましたが、ネフェは仲間である筈の豚に追い払われ、追っかけられ、こつかれ・・・傷だらけになってしまいました。数日で限界との判断が下されネフェはフィールド外に救出された次第です。この時はまるで死んだように元気なく、倒れて寝ているばかりでした。本当に可愛そうなネフェでした。
こうした家畜(動物)に関する生態については重々承知している筈なのに無謀な賭けに出たのでしょうか。結果的にはやはり「群れ」に戻すことは叶いませんでした。
私がこの農場を離れる7月中旬にはネフェは元気を取り戻してはいましたが、この先どうなるのか。全く別の区画を作ってそこに一頭だけ入れる予定だと奥さんは言っていました。その新区画を見る前に私はその地を離れました。今、ネフェはどうしているのでしょうか。写真はネフェです。 ~続く~
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます