思い出します。ドイツに滞在中(2013年8月~11月)のこと。一般の店・レストランやインビス(ファーストフード店)などに入る時は「ハロー!」、出るときは「チュース!」と声をこちらから掛けます。もちろん店員さんやオーナーらしき人も同じように応えてくれます。スーパーのレジでも同じ対応です。以前のブログにも類似のことは記述しています。
これはドイツだけではありませんね。EU全体かも知れません。全てで同様かどうかはわかりませんが、私が訪問した国ではほぼ同様でした、言葉は違いますが。旅行ガイドブックなどにも、現地の店への出入りの際には挨拶を交わすようにとのアドバイスが書かれていますね、大半は。
日本人は、普段の生活習慣から、そうしたことに少し慣れていないようです。黙って店に入って、何も買うものがない場合は黙って店を出る・・・。何故か・・・、日本の店は、スーパーも、コンビニも、個人商店も、ましてやデパートも、出入りが自由で店員さんと顔を合わせたり挨拶するタイミングがほとんどないのです。
ドイツのスーパーでのレジのやりとり。必ず「ハロー」から始まります。習慣になっていますので、どちらが先に言うかは定かではありませんが、順序は関係ありません。相手の顔(目)を見て挨拶しています。支払いしてお釣りをもらって、レシートが必要かどうかを大抵は尋ねられますので、「ヤー(YES)」などと応えてレシートをもらい、荷物を袋につめこみながら「チュース」と軽い別れの挨拶を交わします、お互いに。
日本のスーパーの場合、「いらっしゃいませ」から始まってしまいます。なので、返す言葉がないのです。そして「ありがとうございました」で終わります。いずれも店員さんの言葉です。客は、会釈程度はしますが、言葉を発する機会がないのです。逆に封じ込められているのかも知れません。これでよいとされてきています。
例えば、日本でもレジ係が、「いらっしゃいませ」ではなく、「こんにちは」と言ってくれるのであれば、客サイドも「こんにちは」と言えます。また、「いらっしゃいませ、こんにちは」であれば同様に返すことが可能です。コンビニやその他の店舗でも同様でしょう。
思うに、便利さや効率のみを重視するため、いわゆる対面販売的な人と人の接点が極端になくなってしまっているように思います。買い物を終わるまで一言も言葉を出さなくても用を足すことはできてしまいます。これは間違っているように思いませんか。
都会での生活は、そうしたもんだ。物は容易に手に入るし便利なのかも知れません。が、私たちは大切な人と人との出会いやふれあいの場を捨ててきているように思います。
少し場面は変わりますが、ファーストフード店(日本で)に入ったとします。丁寧な応対で注文が通り、すばやく注文の品が出されます。「お待たせしました!」と見えないところからも声が飛んできます。しかし、チョット空虚な面を感じませんか。まさに「マニュアル通り」なのです。まるでロボットと接しているかのようです。そう感じるのは私一人ではないでしょう、きっと。
顔馴染みのオヤジさんやオバさん、または、愛想のいい娘がいたり、板前さんがいたり、元気なお母さんがいたり・・・、こうした交流があったらいいなと思うし、「必要」なのではないでしょうか。形だけキレイなマニュアル人間はいらないし、便利さや効率を重視した対応は人の温もりが感じられないので、オサラバしたいものです。
昨今、日本国内を見ても、「何故?!」と思ってしまう事件が頻繁に発生しています。EUにおいても若い女子が何かにとりつかれたかのように好ましからざる世界に向っている事例があります。いずれも、何がしかの不満・悩みなどを抱いているようです。(誰にでもあるものですが)
しかし、そうしたことを打ち明けたり相談したりする友人・家族・知人・近所のオジサンオバサン・・・、そして「会話」するチャンスが少しでもあれば解消するのかも知れません(100%ではなくても)。
もちろん、挨拶だけで解決できるものではありませんが、人と人のつながりが、人の心を読んだり、相手の立場も慮ったり、自己中心でなくて・・・。そして人の痛みもわかれば人を傷つけるようなこともしないでしょう・できないでしょう。
一方、「挨拶」を堅苦しい挨拶として意識してしまうと入りにくさもあるかも知れません。そうではなくて、気軽な挨拶であって欲しいと思います。ドイツのハーメルンのレストランでのワン・シーン、何度もブログで紹介しているのでご存知かも知れませんが、後から入ってきた二人連れの親子風男性、その息子の方の40代ぐらいの男性が、着席時に隣のテーブルの私にハローと声をかけてくれた「気軽さ」、私も返事を返しましたが心が温まりました。あれから1年半ぐらい経っていますが、あの印象は忘れがたいものがあります。
私の住んでいる近所でも、中学生ぐらいの女の子が「こんにちは」とすれ違いの時に声をかけてくれたことがあります。また、小学2年生ぐらいの男の子も同様に声をかけてくれました。もちろん、同じように返事しました。(本当はこちらから声を掛けるべきでしょうが)学校なのか、家庭なのか指導している方がいらっしゃるのでしょう。
「挨拶運動」というと強制的な面も感じるので、親が・大人同志が自然に挨拶を交わす姿をしていれば、子供たちも自然に身に着けてくれるのではないでしょうか。
「形(かたち)」から入ることも大切ですが、常に本質(目的)を見極めながら歩んで行きたいものです。単なるマニュアル人間だけで終わっては意味がありませんしね。
(巻頭写真: ドイツ・ミュンスターの朝市でおもちゃを売る子供)
これはドイツだけではありませんね。EU全体かも知れません。全てで同様かどうかはわかりませんが、私が訪問した国ではほぼ同様でした、言葉は違いますが。旅行ガイドブックなどにも、現地の店への出入りの際には挨拶を交わすようにとのアドバイスが書かれていますね、大半は。
日本人は、普段の生活習慣から、そうしたことに少し慣れていないようです。黙って店に入って、何も買うものがない場合は黙って店を出る・・・。何故か・・・、日本の店は、スーパーも、コンビニも、個人商店も、ましてやデパートも、出入りが自由で店員さんと顔を合わせたり挨拶するタイミングがほとんどないのです。
ドイツのスーパーでのレジのやりとり。必ず「ハロー」から始まります。習慣になっていますので、どちらが先に言うかは定かではありませんが、順序は関係ありません。相手の顔(目)を見て挨拶しています。支払いしてお釣りをもらって、レシートが必要かどうかを大抵は尋ねられますので、「ヤー(YES)」などと応えてレシートをもらい、荷物を袋につめこみながら「チュース」と軽い別れの挨拶を交わします、お互いに。
日本のスーパーの場合、「いらっしゃいませ」から始まってしまいます。なので、返す言葉がないのです。そして「ありがとうございました」で終わります。いずれも店員さんの言葉です。客は、会釈程度はしますが、言葉を発する機会がないのです。逆に封じ込められているのかも知れません。これでよいとされてきています。
例えば、日本でもレジ係が、「いらっしゃいませ」ではなく、「こんにちは」と言ってくれるのであれば、客サイドも「こんにちは」と言えます。また、「いらっしゃいませ、こんにちは」であれば同様に返すことが可能です。コンビニやその他の店舗でも同様でしょう。
思うに、便利さや効率のみを重視するため、いわゆる対面販売的な人と人の接点が極端になくなってしまっているように思います。買い物を終わるまで一言も言葉を出さなくても用を足すことはできてしまいます。これは間違っているように思いませんか。
都会での生活は、そうしたもんだ。物は容易に手に入るし便利なのかも知れません。が、私たちは大切な人と人との出会いやふれあいの場を捨ててきているように思います。
少し場面は変わりますが、ファーストフード店(日本で)に入ったとします。丁寧な応対で注文が通り、すばやく注文の品が出されます。「お待たせしました!」と見えないところからも声が飛んできます。しかし、チョット空虚な面を感じませんか。まさに「マニュアル通り」なのです。まるでロボットと接しているかのようです。そう感じるのは私一人ではないでしょう、きっと。
顔馴染みのオヤジさんやオバさん、または、愛想のいい娘がいたり、板前さんがいたり、元気なお母さんがいたり・・・、こうした交流があったらいいなと思うし、「必要」なのではないでしょうか。形だけキレイなマニュアル人間はいらないし、便利さや効率を重視した対応は人の温もりが感じられないので、オサラバしたいものです。
昨今、日本国内を見ても、「何故?!」と思ってしまう事件が頻繁に発生しています。EUにおいても若い女子が何かにとりつかれたかのように好ましからざる世界に向っている事例があります。いずれも、何がしかの不満・悩みなどを抱いているようです。(誰にでもあるものですが)
しかし、そうしたことを打ち明けたり相談したりする友人・家族・知人・近所のオジサンオバサン・・・、そして「会話」するチャンスが少しでもあれば解消するのかも知れません(100%ではなくても)。
もちろん、挨拶だけで解決できるものではありませんが、人と人のつながりが、人の心を読んだり、相手の立場も慮ったり、自己中心でなくて・・・。そして人の痛みもわかれば人を傷つけるようなこともしないでしょう・できないでしょう。
一方、「挨拶」を堅苦しい挨拶として意識してしまうと入りにくさもあるかも知れません。そうではなくて、気軽な挨拶であって欲しいと思います。ドイツのハーメルンのレストランでのワン・シーン、何度もブログで紹介しているのでご存知かも知れませんが、後から入ってきた二人連れの親子風男性、その息子の方の40代ぐらいの男性が、着席時に隣のテーブルの私にハローと声をかけてくれた「気軽さ」、私も返事を返しましたが心が温まりました。あれから1年半ぐらい経っていますが、あの印象は忘れがたいものがあります。
私の住んでいる近所でも、中学生ぐらいの女の子が「こんにちは」とすれ違いの時に声をかけてくれたことがあります。また、小学2年生ぐらいの男の子も同様に声をかけてくれました。もちろん、同じように返事しました。(本当はこちらから声を掛けるべきでしょうが)学校なのか、家庭なのか指導している方がいらっしゃるのでしょう。
「挨拶運動」というと強制的な面も感じるので、親が・大人同志が自然に挨拶を交わす姿をしていれば、子供たちも自然に身に着けてくれるのではないでしょうか。
「形(かたち)」から入ることも大切ですが、常に本質(目的)を見極めながら歩んで行きたいものです。単なるマニュアル人間だけで終わっては意味がありませんしね。
(巻頭写真: ドイツ・ミュンスターの朝市でおもちゃを売る子供)
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