ジローのヨーロッパ考

デンマークやドイツの農家に長期(?)滞在、体験したり感じたことを綴ります。

ドイツでも報道: 2020オリンピックのロゴ白紙へ

2015-09-01 21:54:34 | 日記
2015年9月1日(Tue.)、ドイツでもトップニュースの一つとして報道しています。それは、2020年東京開催のオリンピック用ロゴが白紙撤回された件です。(ニュースソース: ドイツ DW-DE)





<原文の一部>

Japan's Olympic logo set to be scrapped in fresh controversy

A week after the designer of the motifs was accused of plagiarizing his ideas, new claims of copying have surfaced. The Olympic Committee are set to meet amid reports the logo will be dumped.


(報道の中身は、日本でのそれとほぼ同じです。)


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The logo scandal is the second embarrassment for Japan as it prepares to host the 2020 games. In June, the initial design of the main stadium was scrapped following public outrage over skyrocketing costs. A new design is set to be unveiled later this year and ministers have promised it will cost 40 percent less than the original.

このロゴスキャンダルは、2020年オリンピックに関する日本としての2番目の恥(不祥事)になっています。メインスタジアムの初期デザインが、膨大なコストのために廃案になりました。その新しいデザインは今年末までに明らかになる予定で、担当大臣は、初期オリジナルのコストよりも40%は削ると約束している・・・と締めくくっています。






***



様々な情報が交錯していたので、不用意なコメントは出せない状況でしたが、ことここに至っては止むを得ない判断(白紙撤回)だったと感じています。

以下に、個人的に感ずるところを述べておきたいと思います。

最初に、発表されたデザインが、ベルギーの劇場ロゴに似ているかどうかについては、似ていると言うのが客観的意見です。ただし、デザインを盗用したかどうかは、関係者以外は知る由のない事項であり、コメントできません。

次に、心証の問題ですが、サントリーのバッグのいくつかに、「盗用」の事実がみつかったことは、佐野氏個人およびデザイン事務所としてのモラルに欠けているところがあるのは判然としており、その他のデザイン事例の中にも、基本コンセプトとして酷似しているものも報道されており、疑惑を抱かせる・強くする結果を招き、まさに、信用失墜に近いものがあります。

結果として、当該オリンピックロゴには盗用の事実はなかったと仮定しても、デザイナーのモラルそのものが問われる事態を招いているので、白紙撤回は止むを得ない判断だったと思っています。

そして、違う次元での大きな疑問が残っています。それは、そもそも佐野氏のデザインが選定された過程に関するものです。

当初の原案が開示されましたが、それは正直に言って、独創的なデザインとは言い難いものです。にも関わらず、それが1位に選ばれた点が疑問の一つ。そして、協議・調査した結果、その原案に類似のものが先願商標として存在していたようで、佐野氏に対して修正を依頼したとされていますが、ここに非常に大きな疑問があります。つまり、原案デザインを修正する必要があるのであれば、選定そのものからはずす必要があります。にも関わらず、修正で対応しようとしているプロセスに、疑惑を感じてしまいます。

選定評価する側からすれば、提案(応募)したデザインがそのままでは利用できないものであれば、誰が考えても却下・落選扱いです。もう一つ、デザイナー側からすれば、自分のデザインにはコンセプトや思い入れも含めて、デザインそのものを変更することは、自己を否定することにもつながることなので、修正には応じないのが通常でしょう。制作・デザイン途中での試行錯誤により修正を加えることは、自己の意思に沿うものであって、普通のプロセスですが、他から批判や注文をつけられて修正に至るということは自己否定につながるのです。

従って、委員会からの指摘・要望であったとしても、修正に応じないのが一般的ではないでしょうか。ただし、デザイナーの意志に反しない程度でのサイズの変更や、色合いの修正には応じることはあるかも知れません。

いずれにしても、原案に問題があるとされた以降のプロセス全体に大きな疑問が残ります。逆に、こうした道理に合わないプロセスが進められたと言うことは、最初から(?)、この路線が決められていたのではないかとも疑ってしまいます。影で・裏で金銭に絡んだ取引があったのではないかとも疑いたくなる事態なのです。

これらは推定・憶測で述べている部分ではありますが、そう疑わざるを得ないぐらい「不自然」なプロセスがあることは事実と言えるでしょう。



総じてですが、新国立競技場デザインコンテストやコスト計上プロセス等も不明瞭で、金銭感覚のずれた無責任な体制で進められてきた経緯がありました。そして、今回のロゴ問題についても類似の結果(白紙撤回)を招きました。

一つには、ことを進めている関係者の市民目線感覚がボケているのではないかと言うこと。それは、為政者や責任者たちが、お手盛り感覚で好き勝手にやっているのではないかと疑わせるようなことをしていると言うことです。

また、それは、関連業界ともつながって、金銭的恩恵に浸る人たちによる密室談合が行われているのではないかと言うことでもあります。

特に、安倍政権や支持する自民党関係者の利己的で聞く耳持たぬ的な判断が見えている様々な場面が、このオリンピックゲームに関わることも一連托生のように国民の目に映っているのではないかと思います。

安倍が、2013年のオリンピック誘致の際に、世界を相手に「取消しのできない大ウソ」(・・・コントロールされている・・・発言)をついたことが、全く信用が得られない政権であることを証明・宣言してしまっているのです。

現政権(+許されない補佐官)やそれを支える与党議員及び関係者、原発やエネルギー政策をあらぬ方向に推進している経産省、まともに仕事をしているのかと思わせる文科省等の関係者・・・。何が正しくて望ましい方向なのか、やって良いこと悪いことなど、適切に判断できる人は少ない連中のようです。

やはり、主義主張よりも、単に金銭的恩恵のみが最優先判断材料になっているのではないかと思わせる人たちでしょうか。これでは、多くの国民が望む社会構築は程遠いものになってしまいます。



かと言って、勇ましくて声の大きいだけがとりえの人物は、これも危険人物です。関西方面で吠えているようですが、安倍と同じ穴の狢(むじな)に近いものを感じさせます。間違っても、こうした威勢のいいことだけに魅せられてはいけません。物事の本質を見極めて判断するようにしたいものです。








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