ジローのヨーロッパ考

デンマークやドイツの農家に長期(?)滞在、体験したり感じたことを綴ります。

臨時: 気になることが多い・・・

2016-03-01 19:19:06 | 日記
2016年3月1日(Tue.) 2月28日の当ブログで綴っていますが、まだまだ気になることがありますので、ついで(?)に述べておきたいと思います。

先ずは、お粗末な議員が中にはいますね・・・と言う話の続きです。公費を不正請求(私的利用?)した県議、全額返還したようですが、返したら済み・・・ではないでしょう。また、記者会見等の時の取り乱した姿など、これでも地方議員の資格・資質があるのでしょうか。また、国会議員でありながら議員らしからぬ行為をしていた方、離党すれば済むものでもないでしょう。また、最近ですが、ドラッグ使用が疑われる地方議員の話題も・・・。

人間、十人十色、様々な人々が存在することは当然のこと・・・。ですが、国民や市民からの負託を受けて声を代弁し、よりよき社会・地域へと導くべき立場でもある方々が、良識すら持ち備えていないようでは、その資質は「無い」ものと言わざるを得ません。結果、議員足る資格もないのです。(人間をやめろとまでは言いません。)

一方、選ぶ・投票する側にとってみれば、選ぶ人は限られており、近しい関係でない限りは、その人の「人となり」などはわかろう筈もありません。結局、主要政策や争点に関する考え、または、政党によって選ぶしかないのが実態ではありませんか。立候補する方は、世襲や、利権(金儲け)がらみの方々に推されて出るのではなく、高い政治的志を持った人に限っていただきたいものです。

そもそも、議員当事者の資質も問題ですが、問題ある人を押し上げてしまう周辺にも、重大な瑕疵があると言うことではないでしょうか。この意味は、一議員のことのみを言及しているわけではありません。


そしてドラッグと言えばスポーツ界の「K」氏のことがあります。その世界では頂点を極めた方の一人ではないかと思いますが、金に溺れたのか、薬に溺れたのか・・・、真実は知る由もありませんが、多くの日本国民に落胆を与えたことは事実でしょう。人にはそれぞれの特質や才能があると思いますが、その際立ったところを伸ばして、存在感や価値を発揮するところに意味・意義を見出すこともできるのでしょう。それにしても、ことの善悪の判断力は、才能・特質の如何に関わらず持ち備えていなければ、一社会人とも言えないことになるのではありませんか(これは議員についても然りです)。



次に、食品偽装に近い件です。何年か前にも、この偽装問題は、日本国内の大手メーカーや流通業者・老舗までも追及されるような事態が相次ぎました。今回は、産業廃棄物処理業者が、廃棄品を横流ししてMフーズなる業者に売り渡し、まるでマネーロンダリングのように、履歴を抹消し、あたかも正規品であるかのようにして再流通させている・・・と言うものです。

そもそも廃棄品を食品卸業者に売り渡すことから「異常・不正」であり、同様に、食品を産廃業者から買う・仕入れることそのものもあり得ない・あってはならないことであり、これらは弁明の余地は全くどこにも無いのです。

にも関わらず、Mフーズの責任者と称するご老人(?)は、報道取材にも答えていました。何かいいわけ染みたことを言ってましたが、片腹痛いとはこのことかと思ってしまいました。彼等は、金儲けさえできればよいのであって、倫理観のカケラもないのかと思いたくなります。

このことに関連する報道の一つとして、こうした事態を招いた遠因に、最終消費者の低価格志向(要求)があるかのようなことが伝えられていましたが、一部にはそうであるとも言えると感じますが、やはり、大半は言い訳ではないでしょうか。自己責任を回避している詭弁に聞こえます。但し、消費者は、安かろう悪かろうの考えも思い起こす必要があるように思います。

いわゆるフェアトレードの件とも共通しますが、無理な仕入れや買い叩きなどは、無理な取引を生じさせ、立場の弱い人を追いやる可能性も高まります。また、こと食品・農産物などは、大量生産するために不当労働を強いるのみならず、化学肥料・農薬・遺伝子組み換えなどの多用なども誘引してしまいます。人の目の行き届く範囲での、安全・安心の食物を入手しようとすると、一定のコストは必須であることを、消費者も改めて認識する必要があるのではないでしょうか。

これらを阻害する要因の一つが(過大な)「金儲け」です。類似のことを、同じ市場(マーケット)で行う場合、ややもすると価格競争に陥ります。こうした競争になると薄利多売を目指すことにもなり、大量生産へと走る結果にもつながります。

日本人は(日本人だけではないかも知れませんが)、同質的競争に陥り易いと考えられてきました。つまり、Aさんがやっているから、同じようなことをBさんもやる。さらにはCさんも参入。こうして、狭い市場に同じような商品が投入されることになるため、前述の価格競争に陥っていくわけです。この理屈は、およそ30~40年前(?)に、日本の産業界(多くの一流企業が参画)が取りまとめたものです。 だから、同質的競争から脱却しよう・・・と言うのが掛け声になりました。

つまり、「独自性」をそれぞれの分野で発揮しましょう・・・と。しかし、この考えが日本の各業界・各市場等に広がったかどうかは知りません、少なくとも私は。 言葉を少し変えて「経営品質」を高めようと取り組んだ企業・組織も少なくない筈です。

こうした考えは、食品や農業にも通じるものであり、手法は互に学ぶものの、その生産物そのものは、それぞれ独自性・価値があるものであることが望ましいと言うことになります。単なるモノマネでは価格競争に陥るから、そうした手法は避けましょう・・・と言うことです。

つきつめて考えて行くと、ある程度の地域内で循環するような仕組みが安全・安心と言うことになり、それには一定のコストも必要ですが、そのお金の多くは地域内で循環する・・・。もちろん、地域内で賄えない工業製品や技術なども必要であり、過大にならない程度の「外貨」獲得のための産品や付加価値(サービス提供)なども育成することになるのでしょう。

繰り返しになりますが、食糧自給率(現状40%)を飛躍的に高めることや、化石燃料や原子力に頼らないクリーンなエネルギーの供給体制も高めて行くことなどは必須でしょう。 現政権の政策は、まるでマネーゲームに走っているかのように見えています。金融工学なる言葉もあるらしいのですが、それよりも実体経済てこ入れに重きを置いた政策であるべきではありませんか。マネーゲーム=博打ではありませんか。遊びで楽しむ程度のものは許容できますが、私たちの生活を博打に賭ける・・・と言うのはいただけません。



長くなってきましたが、後一つ。本日、最高裁で、高齢者の徘徊に伴う鉄道事故の損害賠償に関する判決が出されました。結果、一・二審を翻しての賠償責任はないとの判決でした。判決が出る前から、そうなるべきと考えていましたが、最高裁がそのように判断したことに安堵感を覚えた次第です。

しかし、一方で、一審・二審では、何故同様な判断ができなかったのか。司法も未熟な世界なのかと思いを新にしました。もっと的確・妥当な判断を一審から出してもらいたいし、そうであらねばならないと思います。

このことで思い出すのは、原発再稼動に対する司法判断で、各地裁等でバラバラ、且つ、妥当と思えない判断が出されることです。過去の判例だけに依拠したり、法律の文言解釈のみに陥っているのではないか、当該法律等の本質的目的を理解できているのか・・・等々。 司法関係者は、公正・妥当と思われる考えを、何事にも左右されず、保持していただきたいと願うばかりです。

あの砂川判決の、最高裁での「話」が事実だったと仮定すると、三権分立もないのでしょうか。 何に左右されたのでしょうか・・・。


*** 下の写真は、記事内容とは関係ありません。




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