「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

W杯サッカー、多くの選手にみられる「入れ墨」に眉をひそめる

2014年07月02日 16時06分15秒 | アート・文化

入れ墨、または刺青と日本では呼ぶものを、最近はタトゥーと呼んで、なにかファッションとか自己表現的なものとみる向きが、徐々に増えているのだろうか?

ここでは、言葉を「入れ墨」と統一して表現させていただく。

日本では、長らく入れ墨は、いわゆるヤクザの世界の人たちが、強い自分であることを自他ともに誇示するために彫るもので、そういう人たちは、一般社会とは隔絶した世界に住むことを、それこそ自他ともに認めて過ごしてきた。

したがって、公衆浴場や温泉など、多くの人たちが裸を見せ合う場では「入れ墨の方お断り」というのが日本の文化的常識だったし、それゆえ、私を含めて多くの人たちが生理的に「入れ墨」を入れた人たちと生活を共にするのは受け入れ難いものになっている。

もちろん、過去にも「遠山の金さん」の背中には見事な桜吹雪の模様が彫ってあったとか、任侠映画のヒーロー、高倉健さん演じる主人公の背中にも見事な唐獅子牡丹の模様が彫ってあったなどと語られることはあっても、あくまで遠い存在、フィクションとか作り話的なこととして見せられているわけで、身近なことではないのだ。

それが、いつのころか、おそらく21世紀に入ったころからではないかと思うが、少しづつ、タトゥーという言葉とともに足や手の見えにくいところにアクセサリー的に入れ墨をする人たちが出てきて、その場所も、最初は見えにくいところだったのが、次第に、いわば年を追うごとに見える場所に、形も大きくなって、また、している人も、女性にも見られ、つまりは抵抗感がなくなってきているように感じる。

おそらく、20歳台前半より若い人たちに「タトゥーをどう思うか」と聞けば「別にいいんじゃない、その人の自由で・・・」と答える人が過半数を超えそうに思う。21世紀に入る前、まずピアス、つまり耳に穴をあけてアクセサリーをすることが、最初は「親からもらった身体に傷をつけてまでオシャレとかファッションなんて」と眉をひそめられたことが、そのうち、どうということがなくなり、その抵抗感が薄れた頃、今度はタトゥーに進んだように思う。そして、それも、ここにきて、日本でもあまり抵抗感のない現象になってきているのだと思う。

つまり、昔の価値観、規範意識では説得できない時代の変化というものを感じざるを得ない。おそらく先の若い人たちに「タトゥーとは入れ墨のことで、そう思っている大人は、生理的に受け付けないものなのだよ」といっても、「ヘェー、入れ墨?、わかんなぁ~ぃ、いまはファッションだと思う」と言って取り合わないだろう。

そういう中で、W杯サッカーの選手たちの入れ墨である。これも大会毎に派手さを増している。

2006年大会で、イタリアvsフランスの決勝、例のジダン頭突き事件の当事者だったイタリアのDF、マテラッツィ、彼がいろいろと、ジダンが我慢ならないことを小声で呟き続けた結果の頭突き行為だったということで、マテラッツィとはどういう男だと注視してみたら、彼の腕には大きな入れ墨が施してあって「このヤクザな野郎」と眉をひそめたことがある。このチームのキャプテン、ファビオ・カンナバーロの腕にも入れ墨があり、イタリアリーグで流行ってきたのかと感じていたが、今年の大会では、そこにもかしこにも入れ墨選手だらけだ。

私が今回、こうして入れ墨の話を書いたのは「日本代表の今後」を考えたからだ。現在の日本代表にも、見えない程度に入れ墨をしている選手は何人かいるに違いない。ただ、あからさまな入れ墨の選手は、まだ見当たらない。

どうなのだろう、今回のW杯に出場している外国選手のような、あれほどギドギトした入れ墨を日本代表選手たちがするようになったら、多くの日本人が、いまのように応援するだろうか?

試合を応援していても、その都度目に入る、あのドス黒い色の肩や腕を見て、心底応援する気持ちを持ち続けられるだろうか?

おそらく一人でもそういう選手がピッチに立ったら、まず賛否の嵐でマスコミが飛びつく大事件になるだろう。その時の容認派は「世界で当たり前のことだから」「選手の自由意思の範囲内だから」ということになるのだろう。果たして、そういう容認派が多数派になるのだろうか?

もし、議論が分かれた時、日本サッカー協会は、そういう選手は代表に呼ばないなんてことをやるだろうか? あるいはそういうことができるのだろうか?

私は近未来、そういう悩みを抱える時がくるであろうことを予測だけしておきたい。

これは、大きな意味での文化の問題でもあることから、当サッカー文化フォーラムでも無関心でいようとは思わない。ただ、子供たちに夢を与える存在の日本代表チームの選手たちの逞しい腕にドス黒い入れ墨が入っている姿を、見せても仕方がないと思うべきか、いや、規範というものがなくては、元も子もないと言うべきか、議論に一石を投じておきたい。

それは、日本代表だけの問題ではない。Jリーガー、つまり子供たちのあこがれの存在であるプロサッカー選手として、どうなんだ、という点でキチンとして欲しいのだ。一人ひとりの選手はもちろん、各チームも協会も、逃げないでもらいたい。いずれ、避けて通れない場面が出てくるに違いないから。


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