「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

Jリーグスタート以降、日本サッカー30年間の記録から(3) カズ選手「フランスW杯代表落選の衝撃」前夜の様子から見えてくるもの

2023年01月09日 08時04分02秒 | サッカー日本代表
【このタイトルは、2023-01-04 に投稿した内容を「お題投稿、募集中」向けに再投稿したものです】

1998年6月2日、フランスW杯開幕まで1週間、初戦のアルゼンチン戦まで、あと10日ちょっとしかない時期に、キャンプ地であるスイス・ニヨンで、日本代表・岡田監督は屋外で記者会見を開き、手短に「外れるのはカズ、三浦カズ、北沢、市川の3人」と発表しました。

記者団からは軽いどよめきが出ましたが、それが国内外に打電されるや否や、衝撃のニュースとして、瞬く間に日本中を駆け巡りました。

ふだんは日本代表選考のニュースが、報道・放送の中心ではないテレビのワイドショー番組や週刊誌系のメディアが連日のように大々的に報じましたので、増幅につぐ増幅で、大騒ぎになりました。

あれから24年、カズ選手はいまだに現役選手を続けています。カズ選手が心底サッカー小僧で、自分の引き際だとか、有終の美といったことには頓着していないかのような若々しさでサッカーを続けていることは紛れもない事実です。

けれども、一方で私は「日本代表としてワールドカップに出たい」という唯一無二の目標を永遠に失ってしまったカズ選手が「サッカー選手として出口を見つけられずに彷徨い歩き続けているのではないだろうか」という思いもぬぐい切れないでいます。

当時、決断した岡田監督に対しては「もっと違った選択があったのではないか」という指摘がずいぶん浴びせられました。曰く「カズ選手を外さなければならない必然性より、カズ選手を残しておく必然性のほうが大きかったのではないか」たとえ100歩ゆずって「カズ選手を外さなければならないとしても、もう少し本人のプライドを尊重するやり方があったのではないか」等々。

いま、あらためて当時のスポーツ紙記事をつぶさに読み直してみると、発表後の衝撃の記事もさることながら、直前、1~2週間ぐらいの日本代表の動向からは、ある意味、カズ選手の落選はむしろ当然の流れであり、岡田監督も「カズはもうダメだな」と思いつつ劇的なコンディションの戻りに一縷の望みを託して引っ張った結果の6月2日発表だったように感じました。

一旦スイスに連れていってからの3名切りということもあって、余計「かわいそう」ムードをかきたてた事件でした。

現地スイスでの発表前夜にあたる6月2日付けの毎日新聞朝刊は、一面に「カズ、北沢は落選濃厚」の見出しを打って見通しを報じました。

それを読むと、直前の国内でのキリンカップ2試合そしてスイスでのテストマッチ・メキシコ戦、いずれもカズ選手と北沢選手は出番なし、カズ選手は昨年9月のアジア最終予選初戦ウズベキスタン戦以来得点がなく、足を痛めるなど本番で力を発揮できないと判断された。とあります。

キャンプ地・スイスに出発する前から、カズ選手は構想外になっていたことを示しています。そのキリンカップの期間中、スポーツ紙一面にカズ選手が「落選3人も、先発11人も早く決めて」と訴えているという記事が躍りました。

文字どおり日本代表の中で一目も二目もおかれているカズ選手ですから、記者に話したことが記事になっても監督批判とは受け取られませんが、他の選手にはマネのできないことです。
しかし、一方では他の選手が黙々とポジション獲得のために汗を流している中、カズ選手は「気が気でない、心ここにあらず」といった心境だったのではないでしょうか?

「どうも自分の立場があやしい、先発はおろか最終メンバーにすら残れないのではないか、いや、そんな筈はない、自分が落ちる筈がない、でも、試合に出してもらえていない、途中交代でさえもチャンスがなくなっている」

そう考えた時に思わず「なんとかしてくれ」という気持ちが出たのではないでしょうか。

6月2日の落選発表を受けて、もっとも辛辣な言葉を浴びせたのが、カズ選手が所属するヴ川崎のニカノール監督でした。少し長くなりますが、当時のスポーツ紙記事を転載します。6月5日付けの東スポ紙です。東スポ紙は夕刊紙ですので、発売は6月4日夕刊ということになります。ちなみに記事は一面ではなく中面です。

見出しは「岡田は嘘つきで汚い男だ」「ニカノール監督カズ落としに激怒」
本文はこうです。「2人(カズと北沢)を外したのは計画的で、実に汚いやり方だ。最初から22人に選ぶつもりがないのに、カズと北沢を25人に入れたのは、2人の名前がなければマスコミが騒ぐ、だから、もう遅いという、ギリギリのタイミングで2人を切ったんだ」と言って声を震わせた。

怒りの収まらないニカノール監督はさらに、こう続けた。「キリン杯でカズ以外のFWは全員使った。森島をトップで使ってもカズは使わなかった。中盤も北沢以外は全員使っている。2人を外すことはスイスに行く前から決まっていたんだ。切るんなら、そこでハッキリ言うべきだった。監督は間違ったことを言うこともある。しかし、絶対ウソをつくべきではない。ウソをつく人間を私は許せない」と岡田監督をコキ下ろした。

という内容です。
スイスに行く前から切ることを決めていて、それを隠して連れて行ったことが「ウソつき」ということになるのかどうか、首をひねるところもありますが、同じ監督目線のニカノール監督にすれば、もう岡田監督のハラは完全に読めたのでしょう。

そして、最初に25人にして、そこにカズ選手と北沢選手を入れたのは「2人の名前がなければマスコミが騒ぐ」と考えた。これも「監督ならば、そう考えても不思議ではない」という監督目線の発言でしょう。

では、どうすべきだったか、です。
日本を離れる前に22人を発表して、そこでどれだけマスコミが騒ごうと、毅然としているべきだったのでしょうか。それにも異論が出そうです。
残された短い時間の中でチームを固めなければならない時に、世間の大騒ぎにどう向き合えばいいのか? と。

そもそも、どんなに戦術的にもコンディション的にも合わなくとも、カリスマ・カズは22人の中に残すべきだったのでしょうか?

それにも異論が出そうです。22人のうち一人たりとも使えない選手を残して、使える選手を外すわけにはいかない。それが選考の王道だ、と。

こうして、カズ選手「フランスW杯代表落選の衝撃」前夜の様子を伝えるスポーツ紙の報道をつぶさに点検していくと、どうみてもカズ選手が選考に残る可能性がないことが明白になった中での6月2日の会見だったようです。

まさにニカノール監督が喝破したように「もう遅いという、ギリギリのタイミングで2人を切った」ことによって、衝撃の度合いが最小限に抑えられたのかも知れません。
それでも国内ではワイドショーも週刊誌も、ハちの巣をつついたような騒ぎで取り上げたのですが、代表選手たちは海外にいて、直接、その喧騒にさらされることはなかったのです。

日本サッカー史に残る大事件でもあった出来事でしたが、代表選手たちが直接巻き込まれることがない形で済んだのは不幸中の幸いだったのかも知れません。

この事件は、私もずっと、わだかまりが残っていた問題でした。
私の考え方は「22人にカズ選手を残して何の問題もないのではないか」という点と、「ドーハの悲劇」の戦友である柱谷哲二選手が「よくも二人のプライドをズタズタにしてくれた」と取材マイクの前で語った言葉に「確かにそうなんだよなぁ」とシンパシーを感じた点です。

一つ目のわだかまりに関して、岡田監督は、25人を発表した時に、清水エスパルスの伊東輝悦選手を選出しています。当の伊東選手が「友達から『どっきりカメラ』じゃないかと言われました」と語っていたように、いわばサプライズの追加招集のような選出でした。

この「友達から『どっきりカメラ』じゃないかと言われました」というコメントは、当時のテレビ番組のことをご存じの方であればピンと来るのですが、日本テレビ系列で放送された「どっきりカメラ」という番組名からきています。

この「どっきりカメラ」、全国各地でロケを行ない、仕掛人がターゲットを騙す様子を隠しカメラで撮影して視聴者に見せ、ターゲットが驚いたところで「どっきりカメラ NTV」と書かれたプラカードを持って登場して丸く収める、という番組でした。つまり伊東輝悦選手も、よほどサプライズだったようで「騙された」のかと思ったというわけです。

今にして思えば、ここに一つのカギがあるように思います。

伊東選手は所属の清水では、本来、攻撃的MFのポジションが中心でしたが、この時期はチーム事情もあって、中盤の守備的なポジションで活躍していました。本大会グループリーグ3試合を通過するには、どうしても守備にウエイトを置かなければならない。守りの面で計算できる選手を分厚くすることにしたい。当時のスポーツ紙の報道では「25番目の男」という見出しももらっていましたが、岡田監督をはじめ首脳陣の間では、最終的に残す選手という考えだったと見ていいと思います。

そう方針が決まった時、FW陣で一番序列の低い選手は切らなければならない。伊東選手を招集した時点で、すでにFWの序列最下位はカズ選手、結局、最後までそれは変わらなかったわけで、それはハタ目にも明らかだったのでしょう。

ですから「22人にカズ選手を残して何の問題もないのではないか」という私の考えは「W杯で戦うチームの戦い方」を度外視したものでしかないということになります。
私自身が納得せざるを得ないことだと思い至っております。

もう一つの「よくも二人のプライドをズタズタにしてくれた」という点に対するシンパシー。これも、ニカノール監督が、いみじくも説明してくれたように「二人のプライドがズタズタになる度合が一番小さくて済むタイミングがあのタイミングだった」と考えるべきなのかも知れません。

国内発表で25人ではなく、いきなり22人にした場合のセンセーショナルなインパクトを考えると、本人たちのズタズタ感の実相より、マスメディア等、外部からの増幅圧力が働いたズタズタ感のほうが、数倍大きく報じられ、収拾がつかなかったかも知れないということを感じます。

このように「カズ選手落選」事件に関して残っていた、私自身のわだかまりも、今回の再点検によって消えつつあります。
やはり、当時はシンパシーだとか感情面に左右された判断があり、その残滓が「わだかまり」として長く心に残っていたようです。

また一つ、30年の記録をひもとく中で、問題が解決したような気持ちになりました。
ありがとうございました。

【文中、伊東輝悦選手がサプライズの追加招集となった部分のところを、本日1月12日、一部加筆しました。】
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