「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

お盆期間中に、書きたいこと一気にまとめ書き③ 日本人選手の欧州挑戦、次の10年

2019年08月14日 16時44分02秒 | サッカー選手応援
お盆期間中に、書きたいこと一気にまとめ書き、第三弾、最終テーマですが「日本人選手の欧州挑戦、次の10年」としました。さきの書き込みで「欧州サッカーの潮流、次の10年」ということで、2020年代、どのリーグが欧州サッカーを牽引していくか、これまでの各10年を振り返りつつ予測を立ててみました。

日本人選手の欧州挑戦については、西暦毎の10年刻みというよりは、日本サッカーの節目との関連で見ています。これまでも、このテーマで書き込んでいて、2018年09月26日に「日本選手の欧州サッカー挑戦、これまでと、この先(2)」と題して、その1年前の2017年9月14日に、いわば(1)にあたる書き込みをしました。

2017年9月14日の書き込み、つまり2年前の書き込みでは、Jリーグ以前とJリーグ以後という仕分け、例えていえば、紀元前と紀元後ということで、Jリーグ以後の欧州挑戦の流れを俯瞰して、さらには、今後、欧州で成功するということは、どういう姿なのかを予測してみました。

そして、それは1年前の書き込みでも、さほど大きな考え方の違いはありませんでした。すなわち、日本人選手が欧州で成功を収めるステップとして「第一段階として、欧州4大リーグといわれるトップクラスのリーグであれば、まずプロビンチャといわれる地方の小クラブで実績を残し第二段階でビッグクラブに引き抜かれ、そこで堂々とレギュラーを張れる選手になる、いわば、道のりが長い」という考え方でした。

日本人として欧州挑戦の最初の成功者と言われる奥寺康彦選手のケースは別にして、Jリーグ以後の最初の成功者と言われる中田英寿選手はもとより、最終的にセリエA・インテルのレギュラーとして成功を収めた長友佑都選手、同じくセリエA・ACミランの背番号10の座を勝ち取った本田圭佑選手たちは、皆、こうしたステップを踏んだ選手でした。

ところが、今年に入って、日本人選手の欧州挑戦の様相が劇的に変化しそうな出来事が起きました。久保建英選手のレアル・マドリッド移籍、安部裕葵選手のバルセロナ移籍です。さらにごく最近、ガンバ大阪の食野亮太郎選手のマンチェスター・シティ移籍も発表されました。

もちろん過去にも香川真司選手のドルトムント移籍や、稲本潤一選手、宮市亮選手のアーセナル移籍など、ビッククラブへの移籍劇がなかったわけではありませんが、今年の移籍発表は、明らかにその時とは意味合いが変わったように思います。

香川選手や宮市選手の当時は、まだまだキホンは欧州の地方の小クラブへの移籍が主流という中でのレアケースというか、突出した才能を買われた稀有なケースという意味合いでしたが、今年の移籍は、もちろん彼らが突出した才能を持っていないとは言いませんが、もはやレアケースでも何でもない移籍の時代が到来したことを感じさせるものです。

たぶん、この先の10年間を考えると、日本人選手が欧州ビッククラブに引き抜かれることが珍しくなくなると考えていいでしょう。問題はその先です。これまでは、第一段階として、まずプロビンチャといわれる地方の小クラブに移籍して実績を残すという形から、第一段階として、ビッククラブに引き抜かれ、次に待っているのがレンタル移籍、ローン移籍といわれる、自分が選んだクラブではなく、ビッククラブの意向で生かされたチームで実績を残さなければならないという形がやってきそうです。

でも、それはそれで、欧州で名をあげていく一つのステップになることは確かです。というのは、仮にレンタルで行かされたチームでの活躍が、そもそものビッククラブに、あまり評価されず戻れない場合でも、欧州戦線で、そこそこの実績を積んでいれば、あらたなオファーを受けやすいという点です。これまでのように、プロビンチャといわれる地方の小クラブからスタートした場合、そこそこの活躍程度では、なかなか次のいいオファーが得られず、また日本に戻ってこざるを得ないということになりかねないからです。

おそらく、こうした形で、久保選手や安部選手は欧州で成長していくのではないかという気がします。
その先、つまり、日本人選手が直接ビッククラブに引き抜かれ、なおかつ、レンタル移籍にも出されず1シーズンか2シーズン、サブ程度の立ち位置で結果を残して
次に堂々たるレギュラーの座を勝ち取る時代、それは2020年代半ばまで待たなければならないような気がします。

それにしても、日本人選手たちは、次第次第に進化して、世界のトップクラスに何人もの選手が名を連ねる時代が来るに違いありません。その頃、近いところでは2024年ワールドカップで、ごく普通に日本代表はベスト8の壁を突破して、その後も「決勝トーナメントの常連」と言われる時代を迎えることとなるでしょう。

凄いぞニッポン。ニッポン、チャチャチャ。

お盆期間中に書きたいこと一気にまとめ書きシリーズは、こうしてドリームたっぷりのストーリーで締めくくります。
では、次はいつになるかわかりませんが、また。
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