パオと高床

あこがれの移動と定住

北川晃二「奔流」(「西域」23号)

2009-09-16 02:24:20 | 国内・小説
今では、もう伝説の雑誌といっていいのかもしれない。福岡に「西域」という雑誌があった。1994年出版の23号は、その雑誌の三人の発行者の一人、北川晃二の追悼号であった。ここに、この作者の、昭和27年度上半期芥川賞候補になった小説「奔流」が、掲載されている。昭和26年、1951年、作者31歳の時に、これもまた福岡の伝説的な同人誌「午前」に発表された小説である。

この小説の凄さは、観念への人間の抵抗の凄さかもしれない。それは、観念に打ち勝つものとしての人間の凄さではない。むしろ、その観念に翻弄されてしまう、現実の抗いの悲惨を含めた凄さである。
夥しい死がある。だが、この小説は、その背景にさらに大量な死があることを告げている。
松本健一は司馬遼太郎について、その戦争体験から観念のもたらす狂気と非合理に対峙する合理性に司馬は引かれていったのではないかというようなことを書いていたが、北川晃二にあっても、同様に観念の侵犯の脅威を書いている。ただ、大きく違うのは、司馬は歴史小説家として歴史の中の人物に、ある種、人類の知恵ともいえるものを期待していったのに対して、この「奔流」では、それは暗がりの側に流されていく。

1951年は、サンフランシスコ講和条約が成立し、日本が独立した年である。しかし、この前年の朝鮮戦争は、敗戦後の日本における戦後が、すでに戦前であるかもしれないという予感を孕む。だが、一方で、この特需こそが日本の高度経済成長へと繋がっていく。また、大陸では1949年に中華人民共和国が成立する。独立と同時に日米安保条約を結ぶ日本の時代的、地理的背景がある。そんな中で、例えば、堀田善衛の「広場の孤独」を思い浮かべる。朝鮮戦争の時代を描き出した、1951年第26回下半期の芥川賞受賞作だ。

この翌年の27回に候補に挙がったのが「奔流」である。
小説は、敗戦後の大陸での日本人を描いている。引き揚げを描き出した小説やドラマはあるが、この小説は、敗戦後、中国共産党に徴用された日本人女性を描いている点で、案外稀有な小説ではないかと思う。
国民党と共産党の内戦の中で、戦後が戦後にならない人々の苛酷な生がある。観念が観念の領域を逸脱して、現実を動かしていくときの暴力性と、その奔流の中で生きていく生の困難が表現される。そして、強要してくることへの、強要されることへの、か細く危険な抗いの姿を描きだそうとしている。解放が決して、解放という晴れやかさと結びつかない状況。そこに、作家は引き受けるべき何ものを見たのだろうか。
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