パオと高床

あこがれの移動と定住

司馬遼太郎『草原の記』(新潮文庫)

2007-06-10 16:33:14 | 国内・小説
司馬遼太郎のモンゴルへの思いがあふれ出している本である。その思いは歴史小説家の思いであり、夢や想像が歴史と不可分に関わり合っている。この一冊、遊牧と農耕の文明論でもあり、大きな歴史と個人の歴史の比較論でもあり、人にとって場所とは何か、時間とは何かを、ロマン性や鎮魂の味わいや切なさのようなものを醸し出しながら伝えてくれる。
「空想につきあっていただきたい」という一文で、この小説は始まる。しかし、この作品を小説と呼ぶのかエッセイと呼ぶのか、難しい。空想から事実へ自在に文は動く。すでに司馬の筆致は、そんなジャンルを超えているのである。本の紹介に書かれた「遊牧の民の歴史を語り尽くす感動の叙事詩」という言葉が適切な気がする。叙事詩だ。モンゴルの、そしてツェベクマさんというモンゴル女性の、叙事詩である。それは20世紀のある時期の叙事でもある。同時に、その時間を生きた作者の叙事と抒情でもあるのだ。
農耕民族は歴史を刻みたがる。歴史を記述する。それは土地への農耕という行為自体にも現れている。それに対して、遊牧の民はもともと、歴史を生きるのではないような気がする。彼らには広大な土地があり、国境自体も実は外されているものなのだ。その、遊牧の民の隣に、強大な農耕文明の国家で存在した。それ自体、歴史の拮抗線なのだ。その境界が、この本では見事に描かれている。
モンゴルの、遊牧民の、本来的な非歴史性。それをモンゴルの空に見て、「わたしはこの書き物の主題が虚空であるように思えてきている」と書く司馬遼太郎。壮大な別の時空間が、そこにあるような気がする。


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