三好達治のエッセイ集である。つらつらと、ぱらぱらとページをめくっていたのだが、文体が不思議で面白い。この人の多くの詩はばさっとそぎ落とされた日本語の切れが鋭いのだが、散文はむしろうねうねとしている。それが、削がれた痕跡を残しながらうねうねとしているのだ。確かに、三好達治の詩にも、削がれながらつながっていく詩があるが、この散文文体は面白い。散文のお作法と抵触しながらスタイルという文体の本来性を持っているのだ。
例えば、長い引用になるが、
以前はもっていた気軽に旅に出る習慣を私は永らく失っている。どう
いうわけか、つい無理が先にたってそうなっている。時間と財布の都合
の悪いことも重なり重なりしている。田舎は田舎で戦後の苦渋な生活に
さいなまれているらしき様子は、眼にふれる読みものなどで承知するだ
けでたくさんのような気持もした。旅行雑誌の写真などを眺めていると、
ついでに案内地図を丹念に詮索してみたりはするけれども、そうしてい
るうちに気分の滅入ってしまうのを覚えるようなことが多い。風景なん
ぞが、何のたすけになるものかと、と考えることもあった。都会の乱雑
な、無様な景物は、その騒音よりもいっそう私には閉口の、苦手の、比
喩ではない手ごたえをもって日日痛ましく痛々しく見えるものではあっ
たけれども、そこの生活には一種の魅力があった。場末のごった返しに
は奇妙に、見なれてはいてもなっとくのいきかねる妙な魅力のあるのを、
これもまた日日に私は覚えた。
(『月の十日』一から)
『月の十日』の第一章のほぼ書き始めの部分である。昭和25年に発表。三好達治の戦後の精神が反映しているエッセイであると考えられる紀行文だ。紀行文なのに、旅に出る魅力を感じないと書き始める。なんだか不機嫌。田舎は書物で十分だという風であり、東京への不満をいいながらも、それでも魅力を感じているという。そんな自身の感じへの不満感もある。「何だかな、いいのかな、変だよな、いいんだけどな、でもな」というあたりを逡巡しながら、風景との呼応を探っているような心がある。
解説で佐々木幹郎が坂口安吾と比較しながら上手く書いている。坂口安吾の『堕落論』の「墜ちよ、墜ちよ」を引きながら、
坂口はここで戦後の日本人に、「墜ちよ、墜ちよ」と、まさに三好が拒
否した「堕落し、浅ましく成り下が」ることをこそ奨励していた。現在か
らふり返ってみると、この坂口安吾の乱暴とも言える提言は、戦後の日本
文学が焼け跡から立ち上がる原動力と呼応していたとわたしは思う。三好
達治は、「けれども」と「しかし」の狭間で、孤独になる以外になかった。
(『月の十日』の佐々木幹郎「解説」から)
詩は、この「けれども」と「しかし」から生まれるのかもしれない。割り切れてしまったら、詩を生みだす時差は、空隙は、生まれない。そして、散文のうねりも、三好達治の詩精神から生まれだしているようだ。
引用した文を追ってみる。
「どういうわけか、そうなっている」で済むところなのに、「どういうわけか」のあとに、「つい無理が先にたって」という挿入句が入る。何だか、無理へと読者を誘う。その無理が、「時間と財布の都合の悪いことも重なり重なりしている。」という次の文の微かな諧謔味につながる。あっさりいかない面白さ。そして「重なり重なり」という重複表現のおかしみとも、それこそ「重なり重なり」する。で、「重なり重なり」と「田舎は田舎で」という次の重なりも呼応している。
で、行きたがっていないようにしながら、「旅行雑誌の写真などを眺めていると、ついでに案内地図を丹念に詮索してみたりはするけれども」と、結局、「詮索」しているのだ。心はそぞろ神に引かれている。そして、「けれども」という接続。芭蕉と違って、「詮索」のうちに「気分の滅入ってしまう」わけで、なかなか、芭蕉にはなれない。ただ、文章の背後には『おくの細道』の冒頭の気配が漂っている。
そして、修飾部の多用される文体が現れる。
「都会の乱雑な、無様な景物は、その騒音よりもいっそう私には閉口の、苦手の、比喩ではない手ごたえをもって日日痛ましく痛々しく見えるものではあったけれども、そこの生活には一種の魅力があった。」
ね、「乱雑な、無様な」、「閉口の、苦手の、比喩ではない手ごたえをもって」という部分。散文のお作法から言えば、しつこいようにも思うのだが、ことばを生きている作者の姿勢が感じられる。さらに、対句を微妙にずらしているような表現に、破格のようでありながら妙な様式性があるのだ。さらに、視覚的な文だったはずなのに、ここで「騒音」という耳が介入してくる。三好達治は都会を「騒音」としても感知しているのだということがわかる。
そして、他の箇所にもある、三好達治の散文でボクが最も驚いた表現にぶつかる。
「痛ましく痛々しく」という同義反復だ。こんな言い回しがよく遣われている。「景物」は「日日痛ましく」と書いたときの、この痛ましさは景物の視覚的な痛ましさである。そして、それが「痛々しく見えるもの」といったときに、視覚を通して見たものの痛ましい景観が、三好達治の心で「痛々しく」感じられているのだ。外観から内観への移行が瞬時に行われている。心が呼応する状態が一瞬のうちに書き採られているのだ。
で、ここにも「けれども」が来る。常に心の振幅を感受している。だから、「場末のごった返しには奇妙に、見なれてはいてもなっとくのいきかねる妙な魅力のあるのを、これもまた日日に私は覚えた。」という感性のありかが記述されるのだ。「見なれてはいてもなっとく」しない。そして、「なっとくのいきかねる」からこそ、存在する「魅力」。さらりと詩の精神が語られている。
これだけの引用でも、何だか驚きを感じてしまった。三好達治、喰わず嫌いだったのかも。
重複表現の追記。
「机にむかって落ちつきよく落ちついているのでもなくて」
「注釈書の類にもその後気をつけて眼をとめたが、私の求めるところに力点を置かない風の気のないものがたいていであった」
とかとか。
エッセイは、このあと松尾芭蕉の甲子吟行の話にすすむ。ここも面白い。
例えば、長い引用になるが、
以前はもっていた気軽に旅に出る習慣を私は永らく失っている。どう
いうわけか、つい無理が先にたってそうなっている。時間と財布の都合
の悪いことも重なり重なりしている。田舎は田舎で戦後の苦渋な生活に
さいなまれているらしき様子は、眼にふれる読みものなどで承知するだ
けでたくさんのような気持もした。旅行雑誌の写真などを眺めていると、
ついでに案内地図を丹念に詮索してみたりはするけれども、そうしてい
るうちに気分の滅入ってしまうのを覚えるようなことが多い。風景なん
ぞが、何のたすけになるものかと、と考えることもあった。都会の乱雑
な、無様な景物は、その騒音よりもいっそう私には閉口の、苦手の、比
喩ではない手ごたえをもって日日痛ましく痛々しく見えるものではあっ
たけれども、そこの生活には一種の魅力があった。場末のごった返しに
は奇妙に、見なれてはいてもなっとくのいきかねる妙な魅力のあるのを、
これもまた日日に私は覚えた。
(『月の十日』一から)
『月の十日』の第一章のほぼ書き始めの部分である。昭和25年に発表。三好達治の戦後の精神が反映しているエッセイであると考えられる紀行文だ。紀行文なのに、旅に出る魅力を感じないと書き始める。なんだか不機嫌。田舎は書物で十分だという風であり、東京への不満をいいながらも、それでも魅力を感じているという。そんな自身の感じへの不満感もある。「何だかな、いいのかな、変だよな、いいんだけどな、でもな」というあたりを逡巡しながら、風景との呼応を探っているような心がある。
解説で佐々木幹郎が坂口安吾と比較しながら上手く書いている。坂口安吾の『堕落論』の「墜ちよ、墜ちよ」を引きながら、
坂口はここで戦後の日本人に、「墜ちよ、墜ちよ」と、まさに三好が拒
否した「堕落し、浅ましく成り下が」ることをこそ奨励していた。現在か
らふり返ってみると、この坂口安吾の乱暴とも言える提言は、戦後の日本
文学が焼け跡から立ち上がる原動力と呼応していたとわたしは思う。三好
達治は、「けれども」と「しかし」の狭間で、孤独になる以外になかった。
(『月の十日』の佐々木幹郎「解説」から)
詩は、この「けれども」と「しかし」から生まれるのかもしれない。割り切れてしまったら、詩を生みだす時差は、空隙は、生まれない。そして、散文のうねりも、三好達治の詩精神から生まれだしているようだ。
引用した文を追ってみる。
「どういうわけか、そうなっている」で済むところなのに、「どういうわけか」のあとに、「つい無理が先にたって」という挿入句が入る。何だか、無理へと読者を誘う。その無理が、「時間と財布の都合の悪いことも重なり重なりしている。」という次の文の微かな諧謔味につながる。あっさりいかない面白さ。そして「重なり重なり」という重複表現のおかしみとも、それこそ「重なり重なり」する。で、「重なり重なり」と「田舎は田舎で」という次の重なりも呼応している。
で、行きたがっていないようにしながら、「旅行雑誌の写真などを眺めていると、ついでに案内地図を丹念に詮索してみたりはするけれども」と、結局、「詮索」しているのだ。心はそぞろ神に引かれている。そして、「けれども」という接続。芭蕉と違って、「詮索」のうちに「気分の滅入ってしまう」わけで、なかなか、芭蕉にはなれない。ただ、文章の背後には『おくの細道』の冒頭の気配が漂っている。
そして、修飾部の多用される文体が現れる。
「都会の乱雑な、無様な景物は、その騒音よりもいっそう私には閉口の、苦手の、比喩ではない手ごたえをもって日日痛ましく痛々しく見えるものではあったけれども、そこの生活には一種の魅力があった。」
ね、「乱雑な、無様な」、「閉口の、苦手の、比喩ではない手ごたえをもって」という部分。散文のお作法から言えば、しつこいようにも思うのだが、ことばを生きている作者の姿勢が感じられる。さらに、対句を微妙にずらしているような表現に、破格のようでありながら妙な様式性があるのだ。さらに、視覚的な文だったはずなのに、ここで「騒音」という耳が介入してくる。三好達治は都会を「騒音」としても感知しているのだということがわかる。
そして、他の箇所にもある、三好達治の散文でボクが最も驚いた表現にぶつかる。
「痛ましく痛々しく」という同義反復だ。こんな言い回しがよく遣われている。「景物」は「日日痛ましく」と書いたときの、この痛ましさは景物の視覚的な痛ましさである。そして、それが「痛々しく見えるもの」といったときに、視覚を通して見たものの痛ましい景観が、三好達治の心で「痛々しく」感じられているのだ。外観から内観への移行が瞬時に行われている。心が呼応する状態が一瞬のうちに書き採られているのだ。
で、ここにも「けれども」が来る。常に心の振幅を感受している。だから、「場末のごった返しには奇妙に、見なれてはいてもなっとくのいきかねる妙な魅力のあるのを、これもまた日日に私は覚えた。」という感性のありかが記述されるのだ。「見なれてはいてもなっとく」しない。そして、「なっとくのいきかねる」からこそ、存在する「魅力」。さらりと詩の精神が語られている。
これだけの引用でも、何だか驚きを感じてしまった。三好達治、喰わず嫌いだったのかも。
重複表現の追記。
「机にむかって落ちつきよく落ちついているのでもなくて」
「注釈書の類にもその後気をつけて眼をとめたが、私の求めるところに力点を置かない風の気のないものがたいていであった」
とかとか。
エッセイは、このあと松尾芭蕉の甲子吟行の話にすすむ。ここも面白い。
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