パオと高床

あこがれの移動と定住

紅玉いづき『現代詩人探偵』(創元推理文庫 2018年4月13日)

2018-08-26 10:04:34 | 国内・小説

ミステリには違いない。
ただ、犯人捜しや謎解きミステリとは違って、いわば動機探しミステリであり、そこにある謎は、動機を孕む「人」という存在が
不可解なものである以上、より深まるばかりなのかもしれない。で、あれば「謎が解ける」はずのものがミステリであるのならば、
むしろ反ミステリかもしれない。そこが面白い。
詩を扱ったミステリは多い。古歌、民謡、数え歌から現代詩まで、詩とミステリは親和性が高い。詩に沿って事件が起こる、ある
いは事件の背後に詩があるという小説を想像して読み始めたのだが、それもきれいに裏切られる。作品としての詩が事件にからむ
のではなく、確かに絡まないわけではないのだが、その絡みよりも、詩を創作する「詩人」の置かれた状況と内面を明らかにしよ
うとする小説なのだ。ここで書かれているのはむしろ創作者の苦悩と、その苦悩をつまびらかにしていくことの徹底的な徒労さな
のだ。
では、それが面白いのかと聞かれれば、うん、面白かった。ああ、こんな展開もあるのかと読みすすめていくことができた。

ストーリーの概要はこう。
地方都市でオフ会が開かれる。会は「現代詩卵の会」。参加者は9人。詩を書き続けることを確認し合い10年後の再会を約束する。
そして、10年後集まったのは5人で、4人は自殺や不審な事故死を遂げていた。そのオフ会のメンバーで、現在25歳(最初のオフ会の
時は15歳)の「探偵くん」と呼ばれる主人公が、死んだ4人の亡くなったときの状況となぜ死ななければならなかったのかを探って
いくという小説だ。
各章の最初に登場人物が書いたとされる詩が、掲載されている。「探偵くん」ということばにはあきらかに萩原朔太郎の詩のイメー
ジがある。
小説の冒頭は

  詩を書きたくて詩人になった人間なんていない。

確かに、そうかもとも思う。最初から、詩を選んだ詩の書き手はどのくらいいるのだろう。そして、「詩を書いて生きていく」とは
どういうことなのかを問い続けていく。詩が死を抱え込み、詩人は常に創作の行き着く場所として死に包み込まれるということが、
確認されるように、何度も繰り返されていく。
創作し続けること、そこには罠のようにタブーが待ち受けている。そして、作品と作者の間にある、この小説最大の、もしかしたら
唯一のミステリらしいミステリも仕掛けられている。

孤独や苦悩は、そのただ中にある人にしか感覚されないものかもしれない。そこでは晴れわたる謎はなく、謎は謎を呼び込むだけな
のかもしれない。それでも、表現者として、そのただ中で生きていくという決意のようなものが表れている小説だ。

  俯き加減で道を歩いている間、僕は間違った道を歩いているような気がしていた。行っ
 てはならない場所に、向かっているような。それでも足を進めたのは、他に行くところも
 なかったからだ。

  対話は生きている者にだけ許された特権で、沈黙は死者にだけ残されたものなのだろう
 かと胸の中で自問する。僕の中には言葉が渦巻いている。詩になれずに、死にゆく言葉達。

  僕を殺した、僕の生きた意味を。(詩「探偵」の一節)

  ふさわしい人が欲しがるまでは。悲しみは、ここにあるべきだと思う。この家の人達が
 破棄することも可能であるように。
 残すことよりも、時に大切である、壊してしまうこと。

  理性で操れない言葉は獣の叫びと一緒だ。

  ここには人の死が詰まっている。それに対する言葉が。思いが。どこにもいけない思想
 が。

書かれていく一節に、魅力的なものがあって。
ただ、その流れは主人公の心の動きそのままに、たどたどしい流れとともにあり、だからこそ立ち止まってしまう。迷うにように
すすみながら、謎の暗がりを感じながら。
そして終章、一人ひとりの死が明らかになっていったことよりも、解けない謎にむしろ心を動かされた。
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