パオと高床

あこがれの移動と定住

小澤征爾、村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮社)

2013-02-06 13:14:25 | 詩・戯曲その他
まず、書名。控えめさがあり、そして、村上春樹が小澤征爾に寄せる敬意と親しみが感じられる。

間違いなく現代を代表する有名な指揮者小澤征爾と、これもまた間違いなく今、世界的に知られている作家村上春樹の「音楽」をめぐる対談。対談ではないか、村上春樹による小澤征爾へのロング・インタビュー。

小澤征爾は「あとがき」で、書く、「春樹さんありがとう。あなたのおかげですごい量の思い出がぶりかえした。おまけになんだかわからないけど、すごく正直にコトバが出て来た。」と。そう、村上春樹の音楽への造詣は生半可なものではない、とボク程度が言うのもおこがましいほど深く、広そうだ。うらやましさから、しゃくに触るのは、小澤征爾までもが驚くほどのCDやレコードの珍しいものを、村上春樹がひょいと出してくるところだ。その村上春樹が語りかけることに、小澤征爾は真摯に率直に応答している。音楽には、ここまでというのがなく、また、音楽はたくさんの個性によって彩られ、たくさんの個性の追求によって成立していることが伝わってくる。その音楽に正面から向き合い、格闘し、大切にし、自分の存在をかけてきた小澤征爾の姿勢が、会話から溢れ出している。それが、なんだか胸を打つ。

正直に語らなければならない。ボクは、今ひとつ小澤征爾のCDがしっくりこない。もちろん、好き嫌いの問題だ。そして、村上春樹の小説は、これもまた正直、ほとんど読んでいない。では、なぜ、この本を読んだのか。小澤征爾にしっくりこないのは、ボクの趣味の問題であり、小澤征爾が凄くないということではないからで、彼の個性の際立ちと音楽について語る言葉を聞きたいと思ったからだ。で、読んで、正解だった。面白かった。

二人は、CDを聞きながら、その演奏、演奏者、指揮者、ホール、録音などと会話を広げていく。話が、単に楽屋落ちの裏話ではないのは、そこに常に小澤征爾がいて、彼自身がどう考えるか、何を目指そうとしていたか、そして、それぞれの演奏がそうなったのはどうしてかなどが、語れているからだ。生きてきた時間、生きている時間、そしてこれから生きようとしている時が、言葉を支えているのだ。
例えば、この本の冒頭部分、グールドのピアノ、バーンスタインの指揮、ニューヨーク・フィルでブラームスの「ピアノ協奏曲第一番」を聞きながら、こんな会話が始まる。

  村上「うーん、たしかにテンポが異様に遅いですね。バーンスタイン
    が聴衆に向かって言い訳したくなる気持もわからないではない」
  小澤「ここのところは明らかに、いちにっさん、しいごおろく、とい
    う大きな二拍なのね。でもレニーは六つに振っちゃってるわけ。
    二つでは遅くてとても間が持たないから。六拍にして振るしかな
    い」

とか。続けて、

  村上「そうです。カーネギー・ホールのライブです」
  小澤「うん、だから音がデッドなんだ。」

とか。そして、グールド、バーンスタイン、カラヤン、内田光子などなど、話は続く。さらにさらに、ボストンやベルリンなどの音の違いとか、もちろん音楽の素養のないボクには、えっどんなこと、というところもあるが、それでも理解できるように砕いて話は進む。演奏の違いのとても小さなブレスの話から、曲全体の構想の話まで、あるいはベートーベンとブラームスの曲の弦楽器と管楽器の拮抗の仕方の違いや、マーラーとシュトラウスの差異。
だが、そんな話ばかりではない。若手育成にかける小澤の挑戦の話も面白いし、サイトウ・キネンで何を目指したいのかも伝わってくる。それは、ボクがサイトウ・キネンで違和感を持ったこととも関係するが、小澤自身は、そんなこと承知でやっていた。
他には、時代による音楽の厚みの変化の話も面白く、演奏の古くささが、単に録音の古さではなく、演奏スタイルに時代の変遷があるのだということも感じられた。

そして、「教育」。このインタビューの終盤は「セミナー」の話になる。教育と育成。これは文化が文化として伝承されるために不可欠のものであり、それがいわゆる「一流」の人たちの責務なのだということがひしひしと伝わってきた。齊藤秀雄に師事し、その指導を受けながら、ただ踏襲するのではなく、そうではない指導法で後進の育成に当たっている小澤征爾。カラヤンやバーンスタインにつきながら、その違いを認識し、自らの形を作りだした小澤征爾の、後進の個性に対する向き合い方。クラシックが、大きなクラシックの歴史の時間の中にありながら、常に時間を刻みつけて続いているものだということが理解できる。そして、それは自然にそうなるのではなく、そうしている人たちの努力の結果のだということが真っ直ぐ伝わってくる。

音楽について、語られる言葉が面白い。テレビでは坂本龍一の「スコラ」という番組は抜群に面白いし、吉田秀和を初めとして、必死で、でも楽しく音楽を語っている人たちがいる。音楽は言葉にできないということと抗いながら、音楽を言葉にしようとしている人たちの本は、たいへん興味をそそる。
あっ、この場合、ボクの場合、音楽そのものの楽理的なものというわけではなく、歴史、背景、そんなこんな、すべてを含んでだ。
コメント
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