パオと高床

あこがれの移動と定住

黒田達也『西日本戦後詩史』(西日本新聞社)

2010-11-13 03:32:39 | 国内・エッセイ・評論
福岡に黒田達也という詩人がいた。
と、過去形にしてしまうのは、すでに彼が鬼籍に入ってしまっているからであるのだが、はたして、作家の死とは何だろう。作家は、その作品の中で一度死ぬのかもしれない。作品の自立の前で作家は、作品の中に消える。だが、作家は実生活において、その生を終えたとしても、今度は作品の中で生き続ける。つまり、「いた」と過去形にしてしまうことへの不思議な違和感は、それによって生じる。
そのことは、歴史においても起こる。歴史が継続であるのなら、今へとつながる歴史は、どこか、こんなことがあったではすまされないものを孕む。それは、おそらく歴史を編む作者の執念のようなものが生み出す強度なのかもしれない。黒田達也の『西日本戦後詩史』を読むと、そんな思いを強くする。
この本は、こう書き出される。

「昭和二十年八月一五日、太平洋戦争は終わった。あれから既に四〇年余の歳月が過ぎている。敗戦による精神的虚脱感、焼土と瓦礫のちまたに食を求めてさまよい、飢餓とインフレにあえいだ日々を顧みると、今の日本の豊かな生活は無気味なくらいに平和である。
 あの混乱の時代から四〇年間の長い道のりを、九州・山口・沖縄の詩人たちはどのように詩作し生きてきたか、詩誌・詩集の出版を軸にしてその動向をたどっていきたい。」

むしろ淡々とした書きだしなのかもしれない。だが、ここに包み込まれた思いの強さが、今にも吹き出しそうな張りを見せている。今の豊かさを「無気味なくらいに平和である」と書き、「長い道のり」を「たどっていきたい」とだけ書く。しかし、ここにはその四十年間に詩人がどのように創作し、時代の中にいながら時代を作ろうとしてきたかを辿ろうとする、検証しようとする意志と決意が滲んでいる。しかも、九州、沖縄、山口において検証しようとする。もちろん、これは西日本新聞での連載であるということがあったのだろうが、同時にこのことは自らの見える視野への誠意と責任意識があったのだと思う。語りうることのきわまでを語る。しかし、語りえぬことは語らない。ただ、もう一方で、九州山口という地域の詩史を辿ることで、戦後の詩の歩みの特殊と普遍が見えるはずだという展望があったのではないかとも思う。そして、その展望には作者の持つ反骨の精神が滲んでいるはずなのだ。それは、また、黒田達也個人の反骨の精神にはとどまらない。彼が共鳴し交換しあった、この詩史の中での多くの個性となって溢れている。

昭和六十年(1985年)までの膨大な詩誌・詩集を渉猟し、各県に目配りしながら、何か大きな固まりを描き出しているような一冊。その豊かさと迫力に圧倒された。
あとがきに
「目を通した詩集・詩誌などは恐らく一万冊を超えたであろう。」と書かれている。
そして、
「詩史の執筆を急がなければ、資料は紛失し歴史の暗闇に消滅してしまうという危機感があり、私はおのれに鞭打つ気持ちで書き継いだ。」と、紛失という暗がりとの闘いを記している。
歴史のヒストリーはHis(彼の)・story(物語)であるという言葉を小熊英二の対談で読んだことがあるが、作者によって構成された作者という彼のストーリーであると同時に、これは多くのTheir(彼ら・彼女らの)物語でもある。その躍動の先の今に、ボクたちは生きている。
コメント
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