最初の数行で、すいと引き込まれてしまう。七編の短い小説。倉橋由美子の遺作集だ。「サントリークォータリー」に掲載されたカクテルストーリー。「酔郷」をめぐる往還の物語だ。例えば「広寒宮の一夜」の書き出し。 九鬼さんを前にしながら、慧君はふと考えた。死んだ者たちはどこへ 行くのだろうか。死者という別のものに変わってどこかに存在しつづけ るのだろうか。それなら死者を集めておく世界がどこかにあることにな る。たとえばあの月などはそれに格好の場所ではないか。そんなことを 考えたのも、ここに来る途中で建物の間に思いがけない満月を見たせい かもしれない。死者についての論理的な語り口がありながら、「月」へふっと飛び、それは来る途中に見た月のせいと、慧君の発想の背景を書き留めて、慧君の移動の時間を記述してみせる。そう、小説の語りなのだ。そして、物語は生者と死者の狭間、絶対的な孤独を感じさせる月のお話になる。とても知的な面と美意識に貫かれた感覚的な表現があるインテリジェンスとエロチシズムの交感。軽みと諧謔に哀切と寂寞感。収録された小説のすべてが魅力的で、季節の移り変わりの中で様々な境界を往還してみせる。エロスとタナトス、生者と死者、男と女、西洋と東洋、論理と感覚、古典と現代、その往還の先に「酔郷」の境地が探られる。中国古典からギリシャ神話、西行、蕪村、塚本邦雄と縦横無尽、格調と話体の双方を込めた文体が駆使される。「パルタイ」や「聖少女」などととはまた、違うある達成感を感じさせる文章で、これに触れると、また、初期の倉橋が読みたくなると同時に、この路線の倉橋作品にも触れたくなる。改めて、凄さを感じた一冊だ。小説が、言葉で出来ている小説が持つ、楽しい世界を味わうことができた。
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