新茶がおいしい季節になった。緑茶は、その風味に加えて、健康面の効用からたしなむ人が増えてきている。「カテキン」とは、タンニンと並ぶ緑茶の渋み成分のことで、コレステロールや中性脂肪を下げ、成人病、がん予防などで注目されている。
1929(昭和4)年に世界で初めて、緑茶から「カテキン」を結晶として抽出し、その分子構造を明らかにしたのが、桶川町(桶川市)出身の女性だったと知ったのは最近のことだ。
「カテキン」の発見に先立ち、緑茶にビタミンCが豊富に含まれていることを共同研究で明らかにし、32(昭和7)年、45歳で当時の東京帝国大学から日本で最初の農学博士の学位を与えられた。
理科系に強い女性は最近「リケジョ」と呼ばれる。その「リケジョ」のはしりの一人ともいうべきこの人は、家庭も子供も持たず、80歳の生涯を研究一筋に捧げた。
お茶博士・辻村みちよは1888(明治21)年、現在の桶川市に生まれた。尋常小学校の校長を務めていた父親の影響で、まず小学校の教員になった。向学心が強く、1909(明治42)年、東京高等女子師範学校(お茶ノ水女子大)に入学、理科を専攻した。
後に女性で日本初の博士(理学博士)になる保井コノの指導を受けて学に志した。卒業後7年教諭を務めた後、20(大正9)年、北海道帝国大学(北海道大学)農芸化学科の食品栄養研究室の無給副手(助手)になった。女子入学の前例がないと許可されなかったからである。
ここではカイコの栄養について研究、2年後に東京帝国大学医学部の医化学教室に移ってビタミンやイチョウのたんぱく質を研究した。関東大震災で同教室が全焼、23(大正12)年に理化学研究所に移り、緑茶の成分研究に取り組んだ。
鈴木梅太郎研究室で、三浦政太郎との共同研究で緑茶にビタミンCが多く含まれていることを発見、北米向けの日本茶の輸出拡大に寄与した。緑茶からタンニンを結晶で取り出し、その化学構造を明らかにするなどの研究成果も出した。
三浦政太郎は世界的ソプラノ歌手三浦環の夫として知られる。
みちよは戦後、お茶ノ水大学教授、同初代家政学部長、退官後は実践女子大学教授、同名誉教授を歴任、69(昭和44)年、愛知県豊橋市の姪の家で80歳で死んだ。
みちよを敬愛していた姪は、自宅の庭にお茶ノ水女子大と実践女子大の教え子らとともに、みちよが生前、色紙に揮毫した「滋味」という文字を石碑正面に配した顕彰碑を建立した。
この碑は、2013年11月、生誕の地桶川市の中山道沿いの中山道宿場館近くのポケットパークに移設され、その功績を市民に伝えている。(写真)