ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

「地震県」?

2014年08月04日 17時48分26秒 | 県全般

「地震県」?

海がなく、観光地が少なくても、埼玉県は台風の直撃は少ないし、大地震が起きる確率も東京都より低い安全な県と思い込んでいた。

ところが、政府の地震調査委員会が14年12月19日に公表した14年版「全国地震動予測地図」をよくよく見ると、さいたま市の方が東京都よりその確率が多いことが分かって驚いてしまった。

この予測地図は、「30年以内に震度6弱以上のゆれが起きる確率」を示したもので、東京都が46%なのに対し、さいたま市は51%だった。

都道府県庁所在地の確率の平均値が最も高かったので、その数字が比較されている。この数字は、都庁とさいたま市役所周辺地の確率の比較である。

関東では横浜市が78%、千葉市が73%、水戸市が70%とさいたま市よりはるかに高く、全国では静岡市(66%)、津市(62%)、和歌山市(60%)、徳島市(69%)、高松市(59%)、高知市(70%)、大分市(54%)に次ぐ確率で、全国で11番目、トップ10にあと一つだ。

さいたま市だけではない。県内では、春日部市(77%)、幸手市(72%)、川口市(69%)、越谷市(64%)がさいたま市より高く。全国的にも高率だ(読売新聞調べ)。春日部市の場合、全国最高の横浜市より1ポイント低いだけで、幸手市も全国2位の千葉市よりこれまた1ポイント低いだけだ。

予測とはいえ、全国的に見て埼玉県は「地震県」と呼ばれてもおかしくないほど高い確率である。

この委員会は、05年から予測地図を作成している。東日本大地震がマグニチュード(M)9.0と規模が想定外だったので、相模湾から房総半島に延びる相模トラフ沿いで起きる地震の評価を見直した。

また、首都直下地震で想定される震源の深さを13年版より約10km浅くしたことなどで、関東各地で震度6弱以上の揺れが起こる確率が高まったという。

この結果、さいたま市の確率は、前年より21ポイント増と上昇幅が全国最高を記録したのである。

震度6弱とは、気象庁が定める10段階の揺れの中で3番目に強い。耐震性が低い建物は倒れる危険がある。

震度6強以上の揺れが起きる確率も県内では軒並み上昇した。春日部市(23%)が最高で、幸手市(19%)、川口市(17%)が続いている。

荒川や中川など大きな河川のある自治体の確率が高い。「河川周辺は地盤が比較的軟弱で揺れが増幅しやすい」ためだという。

震度6強の被害想定について、政府の中央防災会議は13年末、首都直下地震が発生した場合、県内では最大約2400~3800人の死者が出て、全壊・消失面積は約9万7千棟に上ると発表している。

県は死傷者・避難者の半減や発生60日以内に電気・ガス・水道の95%以上の復旧という「減災目標」を14年3月に設定した。

問題は、減災に向けた行動計画が大地震の発生に間に合うかどうかである。


関東大震災

2014年08月04日 15時08分30秒 | 県全般

関東大震災

南海トラフが先か、関東大震災の再来が先か、地震予知が科学的に難しい今、誰にも分からない。

東京の隣の埼玉県にとって、関東大震災の再来はひとごとではない。

1923(大正12)年9月1日午前11時58分、相模湾北西沖80kmを震源とするマグニチュード7.9と推定される大激震が関東地方を襲った。その時、埼玉県下で何が起きたのか。

県下(熊谷)でも震度6を記録し、被害は、神奈川・東京・千葉・静岡に次ぐ5番目だった。いくつかの歴史の本から再現してみよう。

被害は、東部の古利根川、元荒川の沖積層の地盤が軟弱な地域に集中した。特に川口、粕壁(春日部)、幸手町が三大被災地とされた。

最も被害が大きかったのは川口町で、鋳物工場316が全半壊、死者10を含む死傷者42人、住家862が全半壊した。鋳物工場の工員約3000人が一時失職した。

粕壁町では満足な家屋がほとんど残っていない状態だった。幸手町では死者10を含む50人が死傷、住家330余戸が全半壊した。

国鉄大宮工場では、作業場の倒壊で煙突が崩れ、死者24人を出した。

全県では、死者217、負傷者517人、住居の全壊4713、半壊3349戸が出た。(大正震災誌)

赤羽・川口間の荒川鉄橋の橋脚が傾き、3日まで不通になり、被災者救援や復興資材の運搬に支障を来たした。

1日から3日までの間に震度1-5の余震が109回、9月中に震度4以上が8回起きた。

東京から空腹と疲労、負傷を抱えた避難民が続々流入した。県は16日まで救護所を設けたが、救護した人は約30万人、各市町村でも約18-24万人に達した。県外でも、日暮里、滝野川に救護所を設け、医療活動に当たった。

この大震災で朝鮮人が襲ってくるというデマが飛び、各地に住民たちの自警団が結成された。警察では保護のため、県内や東京から非難してきた朝鮮人をトラックに乗せ、県外の安全な地域に移そうとした。

本庄では警察署構内で群集がこれを襲い、ほとんどの86人(巡査と新聞報道)を撲殺するという、県内で最大の犠牲者を出した事件が発生した。県北の熊谷や寄居、神保原でも殺害事件が起こり、被害者総数は確認されただけで193、未確認を入れると240人に上る(県史、通史編6)。

いずれも震災の被害が軽かった県北地域で起きているのが気にかかる。

この震災で虐殺されて朝鮮人は、、3千数百人に上った。