うちわ祭りと聞いて、「日本一暑いとこもあったのだから、涼むためにうちわを使う祭りなのだろう」ぐらいに思っていた。テレビでおなじみの京都の祇園祭さえ、まだ見ていないのに、「関東一の祇園」「3日間で75万を超す人出」とPRしているから「関東一とはどの程度のものか」確かめてみようと、2010年7月21日に見物に出かけた。
この日は中日(なかび)で巡行祭に当たっていた。各区からの山車5台、屋台7台が、国道(17号線)を歩行者天国にして、猛暑にもめげず、堂々と練り歩き、「叩き合い」のために市の中央部のお祭り広場に集結する姿は壮観。予想をはるかに上回る見ごたえがあった。
まず、うなったのは、「国道を車両通行禁止にする」というアイデアだった。17号線と言えば、東京から埼玉県の県北にある熊谷を経て群馬県に抜ける大動脈。ドライバーなら誰でも知っている「熊谷バイパス」があるとはいえ、大胆な発想だ。
駅で手に入れたパンフレットの「うちわ祭の由来」によると、江戸時代、参勤交代の大、小名も通行止めに遭い、仕方なく熊谷堤を往来しなければならず、「八坂神社のお祭りは一歩遠ざかって通った」とある。その精神が今も生きているのだろうか
八坂神社のお祭りとは、いうまでもなく祇園祭のこと。熊谷では江戸文禄年間、京都の八坂神社を勧請(かんじょう=神仏のおいでを願う)した。
天保時代(1830 ~4 3年年)には、祭りの期間中、商店は買い物客に赤飯をふるまっていたが、これに替えて、江戸から買い入れた渋うちわを出したところ、大評判になり、「うちわ祭」の名がついた。当時、うちわは現在のような大量生産出来る使い捨て品ではなかったからである。
2015年には、山車・屋台の先頭で振られていた大うちわ(約1・8m)が約40年ぶりに復活した。
行列はさすがに伝統を感じさせる。それぞれの山車・屋台を裃(かみしも)姿の各町の総代など幹部が先導、祭り衣装の若い女性たちもさっそうと続き(熊谷にはなぜ美人が多いのか)、昼間の囃子の太鼓は主に子供たちが上部でたたく。老人も女性も子供も区ぐるみ一丸になっているのが素晴らしい。
山車・屋台に「銀座区」「荒川区」「鎌倉区」「筑波区」と、どこかで聞きなれた地名が出てくるのもうれしい。
これが、星川通りの行宮(本宮からお出ましを願う仮宮)前のお祭り広場に勢ぞろいして、神様に喜んでもらうため「叩き合い」を演ずるのだから暑さも吹っ飛んでくる。
各区の山車・屋台の後ろに氷水などを積んだ「給水山車」がついて行く区があるのが、いかにも暑い熊谷らしい。昔ながらの熱中症対策なのだろう。この日、17号線沿いのデパート「八木橋」正面口の「あついぞ!熊谷」の温度計は、最高37.9度(熊谷地方気象台)にとどまったが、ビールがしきりに恋しくなる暑さ。
残念だったのは、ぜひ一度参拝したいと思っていた、熊谷直実ゆかりの「熊谷寺(ゆうこくじ)」が、堅く門を閉ざし、観光客を拒絶していたことだった。暑い中をせっかく熊谷まで来たのだから、お参りしたい人も多かろうに。
うちわ祭熊谷の夏吹き飛ばす 柳三