神様という言葉に抵抗のある人はほとんどいないが、
こと話が天使だとか悪魔とかになると、途端に荒唐無稽な御伽噺のように捉えられてしまう。
しかし、この世界は、光と影、陰と陽、+とー、表と裏、 善と悪等々、必ず二つの対極があるように、
神が存在していのなら悪魔も存在し、神に仕える天使がいるのなら、悪魔に使える悪霊も存在する。
天使や悪魔は、単に人間の心や善と悪とを象徴的に擬人化したものではないのである。
創世記から黙示録まで、聖書は彼らの存在について語り、悪魔に対して警鐘を鳴らしているにも係わらず、
教会がこの事について論じないのは、実に奇怪な現象であると言わざるを得ない。
実はこの段階で、私たちは悪魔の策略に陥っているのだ。
犯罪を企む者にとって最も都合が良いのは、自分の存在と自分の目的を相手に知られない事。
私たちに対する悪魔の第一の働きは、自分の存在を隠す事なのである。
こういった話しは、興味があるとかないとか、聞きたいとか聞きたくないといった次元の問題ではなく、
それが聖書にある事実か否かが問題なのだ。
C.S.ルイスはこう語った。
「サタンに対して無関心であることも、侮ることも、恐れることも、彼らの思うつぼなのである」と。
音声はこちらからでも視聴できます。
http://www.goodnewsstation.com/hcmsg032815.mp3
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