小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

あっけない別れ

2011-01-18 20:45:19 | 広島の生活
 息子孝行というべきか

 T君からの知らせが入ったのは,月曜日,トマトの作業を終えて帰宅したとき。
「母さんが・・・」
と言ったきり言葉が続かない。

 昨夜,と聞こえたが,今日の話では15日夜,入浴中に亡くなられたという。
男2人,女4人の6人きょうだいで上から2番目。兄と弟は既に亡い。
私の父と彼らきょうだいは“いとこ”になる。

 通夜,葬儀ともに86歳のつれあいがされた。
彼も脳溢血で倒れ,リハビリは続けているものの,歩行,言語ともにゅ自由だ。
「私が」と言ったのですが,とT君はいうが,訥々と語る言葉に妻への愛が込められていてすばらしかった。

 T君は,たった一人の,しかも結婚後,夫妻も周囲も諦めかけた頃に生まれた。
少し太り気味で歩行が不自由,島への墓参も遠ざかっていたが,患わずに逝った顔は美しかった。
生花に包まれて出棺というとき,母に取りすがって必死に嗚咽をこらえるT君が強く印象に残った。

 女性にして,82歳での旅立ちはあまりにも早い。
「美しく,息子・嫁孝行の旅立ちだったね」
と云ったのだが,余計なことだったか。