小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

冬至は“夏みかん湯”で

2009-12-28 00:35:19 | 島の生活
 間に合うかしら?
 ようやく島から帰還した。
夕刻,従弟が白菜を届けてくれて,
「おじいちゃんを迎えに来たんね?」
と孫に問うていたが,しばらく島にいた。

 22日は冬至だったが,柚がないのでパス。代わりに23日,落下した夏みかんを10個余り輪切りにして“夏みかん湯”とした。ぬるめにしてゆったり浸かる予定だったが,これだけ入ると足にぴりぴり応える。
 島にも柚は植えた。ところが20年以上経ってもトゲばかり立派に育つが,一向に実を付ける気配がない。何年か前,傍で枯れ枝を炊いていたら枯れてしまった。「18年」とは,せめて成人映画を観られる年頃まではじっくり育てよ,ということらしいが,あの柚は頑固だった。
白木農園だよりには,柚が出来すぎで,といううらやましい話があったが,島の柚に聞かせてやりたかった。

 島でやったことといえば,畑と庭の除草(当然まだ残っている),と植樹など。かっこいい言い方をしたが,柿と柑橘類を6本だけ。かみさんは菜園場に果樹を植えたらどうかと言うが,狭いところに柑橘類数本と,オスの銀杏に花をつけない蝋梅などつまらぬものがちょこちょこある。これ以上増やしたくない。
 山の畠には既に枇杷,富有柿,梅,栗,それに私が植えたが手入れをしないために生長しない梅や,かたわれになったキウイなどあるが,これらが活着すれば増やしたいつもりだ。
 今のところイノシシの侵入がみられなくて,ようやくその気になったのだが,続いてほしいものだ。
 通りがかりの人が「間に合うかしら?」と言ったが,この意味がよく理解できなかった。
恐らく‘あんたが生きている間は実を付けまい’と言う風に解釈したのだが,なに,孫たちが季節季節に果実を採りに帰ったくれればいいと願うだけだ。

 樒を80本ばかり剪って孫と一緒に墓参した。
日が変わったが,今年の島の生活はこれで終わりだ