イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

サイコの闘い ~戸田・彩湖フルマラソン・ウルトラマラソン激走レポート~ 第二話

2010年04月12日 21時54分28秒 | 怒涛の突撃レポートシリーズ
フルマラソンの部は10時にスタートする。9時半までに受付を済まさなくてはいけない(といっても、ほとんどのレースでは少々遅れても受付をしてくれるのだが)。逆算すると、遅くとも9時過ぎには武蔵浦和駅に到着しなければ。僕の住む武蔵境から武蔵浦和までは、中央線と武蔵野線を乗り継いで1時間弱で行ける。

経験から学んだことだが、「家から近い」というのは、マラソンの大会に参加するうえでとても大きなメリットになる。レース前日は少しでも多く眠っていたい。それに、2時間も3時間もかけて会場に行くとなると、体力も消耗する。ランナーは、走り始めるまでは一歩でも無駄にしたくはないと思うものなのだ。レースの当日はいつも、どこでもドアがあったらいいのになあ、と夢想してしまう。

朝7時に目覚まし時計で目を覚まし、7時45分頃に家を出た。駅までは徒歩20分くらいなのだけど、今日はバス。8時2分の電車に乗れるといいな、と思っていたのだけど、例のごとく時すでに遅し。西国分寺の駅で降りて、こんどの武蔵野線の発車時刻を確認し、ギリギリ間に合うかと思って腹ごしらえのために駅蕎麦のお店に飛び込んだ。駅蕎麦のメニューでは肉うどんが一番好きなのだけど、券売機を見るとそこの店の一押しは「肉そば」らしい。そんなところで悩んでいる場合でもないのに、どっちのボタンを押すべきか、人差し指がしばし左右を行ったり来たり。肉そばにしようか肉うどんにしようか、う~ん、やはりここは長いモノに巻かれておくべきか、そうだともオススメの肉そばにしよう、と思ってボタンを押した。が、食券が出てこなかったのでやっぱり肉うどんにした。

肉うどんを食べていたら、「誰か食券取り忘れてますよ」と、後から入ってきた男性が言った。もしや、と思ったがどうしてよいかわからず肉うどんを食べ続けていたら、「SUICAで肉そば買った人いませんか?」と店内に響き渡る声で店のおばさんが言った。もちろん、買ったのは僕である。食券は出ていたのだ。申し訳ないと思いながら、そしてその正直者の男性に感謝しながら、「あ、それ僕です」と言った。

おばさんが嫌な顔ひとつせず、食券機を開けてレシートを確認し、払い戻しをしてくれた。男性にしても、おばさんにしても、優しい人だ。人の情けが身にしみた。ありがとう! そうこうしているうちに、電車はとっくの昔に出発してしまっていた。ああ今日も、「まさに俺、これが俺」的すぎる展開!

やばい。でも、まあなんとかなるだろう。すべての局面において「なんとかなるだろう精神」でこれまでの人生を歩んできた僕だ。その結果、「なんともならなかった」「いかんともしがたかった」状況に陥ることも頻繁にあるわけだが、僕の力で電車の運行時間を変えることはできない。すべては因果応報なのだ。

ようやく来た次の電車に乗って、武蔵浦和に向かった。武蔵野線にはめったに乗ることはないが、常々とても興味深い経路だと思っている。東京の西側から埼玉に向けて出発したと思ったら、いつの間にか千葉に着いているのである。要は、東京のぐるりを走っているのだ。それを知らなかった東京に不慣れな頃、なんで府中本町を出発した電車が西船橋に着くのかがわからず、不思議な感覚に襲われたものだ。異空間を駆け抜ける武蔵野線。

前日にブックオフで買った何冊かの本をリュックに入れてきたのだけど、どれもピンとこなかった。最後に手に取ったのが、五木寛之著『人間の覚悟』。読み始めたら面白くて、とまらなくなった。親鸞のことが書いてあった。

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自分の信心に、特別な極意などはない。師である法然上人のいわれたとおりに信じて、ついていっているだけだ、と、いうのである。その後につづく言葉は、おそらく目にした人は絶対に忘れることのできない文句だろう。

自分が法然の言葉を信じてついていき、もし師に欺かれて地獄におちたとしても、自分は決して後悔したりはしない、と、親鸞は断言するのだ。

「地獄は一定すみぞかし」

すなわち、自分がいまいるのは、悟りすました解脱の世界ではなく、常に人間としての生きる悩みにとりかこまれた煩悩の地獄である、というのが親鸞の覚悟なのである。

念仏をすれば地獄からすくわれるのだ、と親鸞は言わない。自分にとって、

「地獄は一定すみぞかし」

だから念仏を信じ続けるのだ、師、法然を信じるのだ、と彼はいう。地獄は一定、と覚悟したところから、親鸞の信仰は出発するのである。
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この世を地獄とまでいいきっていいものか、僕にはわからない。だが、悩みにとりかこまれた煩悩の世界であることだけは間違いない。親鸞は、地獄であるからといってニヒリズムに陥るのではなく、そこが地獄であったとしても、信じた道を究めようとした。それにしても――自分が信頼していた人に欺かれて、地獄に堕ちたとしても、後悔はしない、の一節は重い。深く共感はするが、今の僕がこの言葉の意味を理解できたと言ったら、それは嘘になるだろう。

***

そんなこんなでついに武蔵浦和。かっこいい駅名だ。駅から会場までは、大会がシャトルバスを出してくれている。乗り場はどこかなあと思って駅の階段を下りたら、係の人が僕の出で立ち(上下のウインドブレーカーにジョギングシューズ)を見るなり、「サイコ? サイコですか?」と訊いてきた。つまり「彩湖(マラソンに参加する方)ですか?」。定食屋でうなぎを注文するときに「僕はうなぎです」と言ってしまう、うなぎ文。まあ確かに僕は「psycho」な人でもあり、「彩湖」フルマラソンに参加する人でもあり、これから走るのが「最高」に辛い42キロになることを予感しているのであり、そしてシャトルバスの列の「最後」に並ぶ人でもあるからにして、まさにサイコなのである。「はい、僕はサイコです」と心の中で呟きながら、礼を言って列に並んだ。シャトルバスが出ているということは、受付にも間に合うはずだ。これで少なくともワーストケースシナリオ(出場できず)は、避けることができた。この時点でかなりの達成感。ハードルが低いなあ。近くにスターバックスがあったので、今日のコーヒーを買った。

バスはすぐにやってきた。相当数の人が列に並んでいたけど、乗ることができた。目の前に若い女性が座った。僕は立ちながら『人間の覚悟』の続きを読み進めた。これからマラソンを走る。相当にハードな闘いになる。覚悟を決めるのだ。女性が、後から入ってきた年配の女性に席を譲ろうとした。これからフルマラソンを走るのだから、彼女とて足は消耗したくはないだろう。だが彼女の表情に迷いはなかった。とっさにこういうことができる人は、えらい。素敵な人だなぁ。レースになったら、この人の後ろをついて走ろうかなぁ。それなら、頑張って走れそうな気がするなぁ(と、スケベな気持ちをモチベーションに変える)。年配の女性は丁寧に申し出を断ったのだけど、それもまた凜として見ていて気持ちよかった。こんな風に頭で考えるよりも速く、一歩行動に踏み出せる人はいい。マラソンを走ることが、人生のさまざまな局面において、そういう一歩につながればよいのだけど。

バスの運転手が、バスが右折、左折するたびに、「曲がります。おつかまりください」という。ここでも見事に主語がない。武蔵浦和には主語が少ないのか。それとも、ひょっとしたら何をつかんでもいいということなのか。そうなのか。何をつかんでもいいのなら、目の前の女性につかまりたい。がっしりとつかまりたい。そのまま二度と離したくない。いや、離しはしない。そんな気持ちを抑えてとりあえず目の前のポールをつかんだ。
***

五木さんは、40代後半から50代前半にかけて、そして60才前後でひどい鬱に悩まされたのだという。五木さんほどの巨人にして、人生にはこんなにも浮き沈みがあるのだ。まったく人生という野郎は、やっかいだ。生きている限り、僕も当然これから年を取っていく。もともと浮き沈みが激しい人間だから、これからも沈んだり潜ったり、打ちのめされたりしていくんだろう。そして、たまには浮上したりということもあるのだろう。そのときに、どんな覚悟ですべてを受け入れられるのか。五木さんは今年で78才になられる。それでいて、この旺盛な筆力はなんだろう。ふと、老いるというのは人生の最先端を行くことなのではないかという気がした。老いるということは、常に未知との遭遇なのだから。

――人はいつか必ず発現する死のキャリアである

というパスカルの言葉がやけに胸に突き刺さった。誰もが死にゆく運命にあると透徹に見通せたとき、よいもわるいもひっくるめてすべてを受け入れる覚悟ができるのかもしれない。

***

車内を見渡すと、みんなそれぞれマラソンに向けて気持ちを高めているような顔つきをしている。やはり誰であれフルマラソンのレースに出場するのは緊張するものなのだ。コーヒーを飲みながら五木寛之を読んで黄昏れている自分が場違いな輩のように思える。

ここにいる全員が、共に同じレースを走る仲間でもあり、またライバルでもある。日頃は思い思いに家の近所やジムでトレーニングをしている人たちが、何の因果か今日は同じ道を走る。不思議なことだ。ふと足下をみると、全員がジョギングシューズを履いている。ポーカーフェースを演じつつ、尻隠さず。自分はランナーですという正体をあらわにしているのである(誰も隠してないか)。ともかく、周りの全員がジョギングシューズを履いているという光景は、ちょっと異様であった。俺は騙されない。平静を装っているが、お前ら全員ランナーだろ。なんだか「お前ら人間のふりしてるけど、全員宇宙人だろ!」と叫びたい衝動にかられた。

バスが、目的地に到着した。体調にはあまり自信が持てない。無理して走ったら心臓が止まるかもしれない。下手をしたら今日が人生最後の日になるかもしれない。まあそれはそれでいいだろう。読みかけの『人間の覚悟』をリュックに戻すと、僕はこれからレースを走る自分のことを赤の他人のように感じながら、「サ、イコか」と呟いて会場に向かって歩き始めた。

(第三話に続く)



翻訳関係の仕事、勉強をしている人たちが、ただ歩いてしゃべるだけという「そぞろ歩きの会」、4月18日(日)に中目黒を散策いたします。今回は中目黒在住のお方に参加いただけることになり、地元目線で中目黒を堪能できると思います。パラサイト博物館も見学。みなさまぜひお気軽にご参加くださいませ。

そぞろ歩きの会のブログに告知を記載しています。





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
駅蕎麦シリーズ (jasmine)
2010-04-12 23:08:49
長い…とにかく長いけど、面白い!

どうも駅の蕎麦屋のおばさんが登場する回は、
とにかく感動するし、面白い気がします。
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立ち食い大好き (iwashi)
2010-04-12 23:22:55
jasmineさん

コメントありがとうございます。
駅蕎麦、好きなんです。そして実は駅蕎麦というか食堂全般で働いているおばさんもすごく好きなんです。料理をしている女の人はいい!

一回で終えるつもりが書き始めたら長くなってしまいシリーズにしてしまいました(^^)無駄に長くなってっておりますが、あと数回頑張ってみます!
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