イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

ゴルゴ38  Part VIII

2008年09月22日 22時42分37秒 | 連載企画
翻訳者についてもまだまだ書き足りないのだけど、次に移ろう。このプロジェクトに欠かせないと思うのが、「データマン(あるいはウーマン)」だ。映画で言えば、美術。舞台で言えば、大道具。寿司屋でいえば、仕入れ担当。原文に書かれてある情報を、徹底的に調べるのが仕事だ。仕入れのプロが、よい材料をプロの目で選んで厨房に届ける。料理人は料理に集中できる。それが料理の質を高めるのだ。

もちろん、翻訳者だって翻訳するときにはわからないところを徹底的に調べる。だけど、翻訳者はあくまでも料理人なのであり、一日中材料ばっかり選んでいるわけにはいかない。訳さなくてはならないテキストは山ほどある。だから、軽く「ググッとな」して裏が取れた、と思ったらいきおいそれをえいやっと使ってしまうことがある。本当はそれではいけないのだけど。完璧を追求するこのゴージャスプロジェクトにおいては、そんないい加減なことは許されない。だから、調べることを専門とする人間が、まさにデューク東郷ばりに容赦なく徹底的に調べまくる。狙った獲物は決して逃さないのだ。

そもそも、ある人間が本を書くとき、著者は基本的に自分が知っていることを書いているはずだ。しかし、訳者は著者ではないのだから、著者が知っていることをすべて知識としてもっているわけではない。ひとりの人間が持っている情報はとてもユニークなものであり、その情報は大きく個人の経験に基づいている。たとえば、ボストン出身の元弁護士が、大学時代に打ち込んでいたアメリカンフットボールを背景にした恋愛がらみのサスペンスを書いたとする。主人公は弁護士で、ボストンに住んでいて、独身で、アメリカンフットボールが好きで、それで事件が起こる。プロフットボールの試合中に、観戦中の日系人、パンチョ佐々木が何者かに銃で撃たれ、暗殺されるのだ。同じく試合を観戦していた主人公のマイケルは、恋人の法律事務所事務員のベッツィとともに、事件の解決を試みる。これ以上はネタばれになるから言えないのだけど(なんて)、そこに描かれている、法律の専門知識や、ボストンの街並みや、フットボールのプレーの描写やなんかは、著者の豊富な直接的経験に基づいているため、訳者がそれをすべて同レベルでカバーすることはほとんど不可能になる。

たとえば、静岡県出身で、北海道の大学に進学して、寮暮らしをして、専攻はコンピューターサイエンスで、趣味は宝くじで、ちょっと小太りで、卒業後はSEをやっているという人がいるとする。その人が持っている実体験に基づく情報は、それを経験したことがない人間にとっては、どうあがいてもディティールまでは届かないであろう果てしなさを持っている。静岡県出身の人はたくさんいるだろう。北海道の大学を出た人もたくさんいるだろう。学生寮に住んだことがある人も、コンピューター科学を専攻したひともゴマンといるだろう。宝くじが好きな人も、小太りの人も、SEも吐いて捨てるほどいるだろう。だか、それらをすべて兼ね備えた人は、それこそ宝くじで一等が当たるくらいの確率でしか存在しないのだ。誰かが何かを書くということは、多かれ少なかれこうした実体験がベースになっているのであり、それを訳すということは、著者個人が持っているその膨大な情報量に、なんとかして必死に喰らいつこうとしながらも、結局、寸でのところでは真には喰らいつけはしないという不可能性が前提になっているのだと思う。もちろん、言葉は誰かに読まれるために書かれ、存在するのだから、それを読むことはできるだろう。だが、読むことと、訳すこと――つまり読み、そしてそれを著者に成り変って書き直すこと――の間には、巨大なフォッサマグナが存在しているのである。

だからこそ、そこにデータマンの存在意義がある。調べることをひたすらに追求し続ける彼らのレゾンデートルがある。そして冷凍庫には、レディボーデンがある(データマンは頭を使うので疲れてくると甘いものが食べたくなるのだった)。しかも、贅沢が許されるなら、それは複数の方がいい。繰り返しになるけど、人間ひとりが知っていることには限りがある。データマンだって、専門性というものがある。先の例の小説でいえば、法律、ボストン、アメリカンフットボールをそれぞれ専門とするデータマンをまず3人は用意したい。それから、アメリカ文化全般に詳しい人。サスペンス小説にとても詳しい人、そのほかなんでもトリビアに調べる人など、総勢6名をノミネートしたい(予算がいくらあっても足りない)。データマンは図書館やネットやさらにその道に詳しい人に訪ねたりして原書の内容をこと細かく調べ上げる。それだけではない、彼らは現地に飛ぶ。物語の舞台を実際にその足で歩く(これには翻訳者も同行したい)。一点の曇りもないくらに、調べて調べて調べ尽くすのだ。しかし、6人というのはいかにも中途半端だ。やっぱり、せっかくプロ集団をそろえるのなら、なんとなく7人の方がかっこいい。七人の侍。荒野の七人。

そこで、登場してほしいのが、究極のデータマンだ。それは誰か。もちろん、それは著者その人にほかならない。著者にはボストンから来日してもらう。帝国ホテルに滞在させ、豪華にもてなして、お決まりの観光なんかにも連れていく。だけどそれは最初の3日間だけだ。あとは、缶詰にして朝から番まで質問責めにする。もう容赦しない。徹底的に吐かす。なぜこれを書いたのか、なぜこんな話を作ったのか、お前が殺ったのか、誰から金をもらったのか、好きな人はいるのか、正直に全部吐いてもらう。重箱の隅をつつくような質問を、著者が廃人寸前になるまで続ける。おそらく、二度とその作家は日本に翻訳権を売らないだろう。

こうやって、7人が調べたデータは、データ編集担当によって毎日まとめられ、アップデートされて翻訳者の下に届けられる。ボストンのこと、法律のこと、アメリカンフットボールのこと、他の翻訳小説の情報、著者のそれまでの著作のこと、その他、考えられる限りの諸々とトリビア。翻訳者はそのデータを基に、訳を練っていく(まさに、大下英治方式)。こうやって膨大な情報に支えられていることで、原文の解釈にブレがなくなる。物語の筋がピシッと頭に入る。登場人物たちが、街が、アメリカンフットボールが、パンチョ佐々木が、訳者の頭のなかで鮮やかに、いきいきと動き始める(続く)。

   ,.…‐- ..,
   f   ,.、i'三y、 
   !   {hii゛`ラ'゛、
   ゛ゞ.,,,.ヘij  zf´、__
   /ー-ニ.._` r-' |……    「27日の飲み会が今から楽しみだぜ・・・・・・」


最新の画像もっと見る