昨日の朝、A新聞の朝刊を読んでいて、思わず便器に顔をつっこみたくなった。というのはウソで、スポーツ欄に軽くつっこみを入れたくなった。そう思ったのはおそらく私だけではあるまい。こんな記事が出ていた。一部、抜粋する。
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4日のJ1川崎戦から中2日で迎えたこの日のACL。主力を休ませた名古屋は前半、連係面での不安などから単純なパスミスを繰り返し、ボールが落ち着かなかった。ベンチスタートの玉田は「(前半の内容は)見ていて面白くなかった」。
「違いをつくれ」
ストイコビッチ監督からそう送り出されると、「球をキープする位置を高くして、少しでも流れを変えよう」と縦横無尽に駆け回った。下がって起点になったかと思えば、サイドへ流れてスペースをつくり、リズムをもたらした。自身の同点弾も、左サイドを駆け上がって逆サイドへ長いパスを通したことで得たFKだった。
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この「違いをつくれ」だけど、僕の敬愛する「ピクシー」ことストイコビッチ監督は、おそらく英語で「make a difference」と言ったのではないだろうか。それを記者が聞き、「違いをつくれ」訳したのだと思われる。それを前提として、あくまで私個人の意見として話を続けたいのだけど、この表現からはいろいろと考えさせられるものがある。
まず、これは直訳だ。それも「原文が透けて見える」どころの直訳ではなく、原文が3D映像で目前に迫ってくるような直訳だ。これは一般的な日本語の表現ではない。普通、こういうときに日本の監督が選手にかける決まり文句は、
「かきまわしてこい」
だったり、単に
「玉田、いってこい」
だったりする。つまり、ほとんど意味はない。だが、どんな局面であれ「違いをつくれ」とはたぶん言わない。「8番をマークしろ」とか「右サイドバックが弱いからその裏をつけ」とか、具体的に指示を出すことはある。だけど、ピクシーが今回言った make a difference は何かを具体的に指しているわけじゃない。これは英語ではかなり頻繁に使用される表現で、文字通り他と差をつけるとかそういう意味なのだけど、ここでの使われ方にはそれほど深い意味はないはずだ。それを適切な日本語に置き換えず、そのまま「違いをつくれ」と訳すのはいかがなものか。
中日スポーツでは、同じセリフが「違いを見せろ」になっていた。これはmakeを「つくれ」にしなかった分だけ努力の後がうかがえるのだけど、それでも微妙だ。つまり、日本語を母語とするサッカーの監督なら、交代選手を送り出す時に「違いを見せろ」なんて言わない。「格の違いを見せてこい」なら言うかも知れない。だけど、ピクシーが言ったのはそういう意味じゃないと思う。実際試合も引分けだったんだし、格が違うというほど、両チームに実力差はなかった。
ストイコビッチ監督の make a difference をあえて日本語にするなら、
「流れを変えてこい」
「局面を打開してこい」
くらいの意味じゃないだろうか(僕個人の実体験に基づくためなのか、なぜか文末が「~てこい」になってしまう。「流れを変えろ」「局面を打開しろ」のパターンでもいいのかもしれない)。ともかく監督は「違いをつくれ」とも「違いを見せろ」とも言わないはずだ。ドリブルが得意な玉田を入れることで、試合のリズムを変え、アクセントをつける。フレッシュな選手を入れることで、運動量を増やし、試合の流れを引き寄せる。そういうことをストイコビッチは期待したに違いない。キャプテン翼ばりの「make a diffrerence」という名の必殺シュートがあるわけでもない。
ただ、たしかに「違いをつくれ」は直訳的であり、その点においては批判の対象になるべきと思うのだけど、この表現には、それだけでは終われない部分もある。具体的には、2つ。
ひとつは、この記事を書いた記者が、確信犯的にあえて面白い表現として「違いをつくれ」という直訳にしたのかもしれないと想像される点。どこまでその意図があるのかはわからないけど、たしかに意表を突かれるという意味ではある程度成功している。パンチになっている。実際僕も便器に片足をつっこみそうになった。ただし、結果としては、よい効果だけが表れたとは言い切れないのではないか。
もうひとつは、こういうことがきっかけとなって、make a differenceから「違いをつくる」という定訳、あるいはプレーンな日本語表現が誕生する可能性があるのではないかと思わされる点。「違いをつくる」という表現は今は日本語になっていないから、それを見たらおかしいと思うわけで、誰もが日常的に使うようになったら逆にこれほどmake a differenceを的確に表す言葉もない。その表現が日本語として美しいかどうかは別として。何年か後には、サッカーの監督が、「違いをつくってこい」と選手を送り出すのが日常の光景になっているかもしれない。営業部長が、営業マンに「今日は○○社に行って、違いを見せてこい」と言うようになるのかもしれない。全国紙がこれを使ったということは、その可能性がなきにしもあらずだということを予兆しているのではないのか。実際、make a differenceは頻繁に使われる表現だけに、日本語に化ける素地はできているのかもしれない。ビジネスシーンなんかでは、しょっちゅう使われている言葉だと思う。いままでは水中生物だったmake a differenceが、徐々に両生類へと進化を遂げていて、今まさに太平洋沿岸の陸地にノソノソと這い上がってきているのかもしれないのだ。
というわけで、この記事の「違いをつくれ」はmake a differenceを直訳するというコロンブスの卵的な行為によってパンドラの箱を開けてしまったのであり、その意味においては、その直訳ぶりにつっこみを入れつつ、図らずもたしかにこれは「違いをつくる」訳だったのではないか、などと思ってしまったのである。
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今日でこのブログの3周年です。
振り返るといろいろなことがあった3年間でした。楽しいことも、嬉しいことも、悲しいこともたくさんありましたが、皆様のおかげで書き続けることができました。本当にありがとうございました。
これからも、「違いをつくる」精神で玉田の切れのあるドリブルのように指を動かしながら、翻訳への愛をつれづれなるままに記していきたいと思います!
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4日のJ1川崎戦から中2日で迎えたこの日のACL。主力を休ませた名古屋は前半、連係面での不安などから単純なパスミスを繰り返し、ボールが落ち着かなかった。ベンチスタートの玉田は「(前半の内容は)見ていて面白くなかった」。
「違いをつくれ」
ストイコビッチ監督からそう送り出されると、「球をキープする位置を高くして、少しでも流れを変えよう」と縦横無尽に駆け回った。下がって起点になったかと思えば、サイドへ流れてスペースをつくり、リズムをもたらした。自身の同点弾も、左サイドを駆け上がって逆サイドへ長いパスを通したことで得たFKだった。
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この「違いをつくれ」だけど、僕の敬愛する「ピクシー」ことストイコビッチ監督は、おそらく英語で「make a difference」と言ったのではないだろうか。それを記者が聞き、「違いをつくれ」訳したのだと思われる。それを前提として、あくまで私個人の意見として話を続けたいのだけど、この表現からはいろいろと考えさせられるものがある。
まず、これは直訳だ。それも「原文が透けて見える」どころの直訳ではなく、原文が3D映像で目前に迫ってくるような直訳だ。これは一般的な日本語の表現ではない。普通、こういうときに日本の監督が選手にかける決まり文句は、
「かきまわしてこい」
だったり、単に
「玉田、いってこい」
だったりする。つまり、ほとんど意味はない。だが、どんな局面であれ「違いをつくれ」とはたぶん言わない。「8番をマークしろ」とか「右サイドバックが弱いからその裏をつけ」とか、具体的に指示を出すことはある。だけど、ピクシーが今回言った make a difference は何かを具体的に指しているわけじゃない。これは英語ではかなり頻繁に使用される表現で、文字通り他と差をつけるとかそういう意味なのだけど、ここでの使われ方にはそれほど深い意味はないはずだ。それを適切な日本語に置き換えず、そのまま「違いをつくれ」と訳すのはいかがなものか。
中日スポーツでは、同じセリフが「違いを見せろ」になっていた。これはmakeを「つくれ」にしなかった分だけ努力の後がうかがえるのだけど、それでも微妙だ。つまり、日本語を母語とするサッカーの監督なら、交代選手を送り出す時に「違いを見せろ」なんて言わない。「格の違いを見せてこい」なら言うかも知れない。だけど、ピクシーが言ったのはそういう意味じゃないと思う。実際試合も引分けだったんだし、格が違うというほど、両チームに実力差はなかった。
ストイコビッチ監督の make a difference をあえて日本語にするなら、
「流れを変えてこい」
「局面を打開してこい」
くらいの意味じゃないだろうか(僕個人の実体験に基づくためなのか、なぜか文末が「~てこい」になってしまう。「流れを変えろ」「局面を打開しろ」のパターンでもいいのかもしれない)。ともかく監督は「違いをつくれ」とも「違いを見せろ」とも言わないはずだ。ドリブルが得意な玉田を入れることで、試合のリズムを変え、アクセントをつける。フレッシュな選手を入れることで、運動量を増やし、試合の流れを引き寄せる。そういうことをストイコビッチは期待したに違いない。キャプテン翼ばりの「make a diffrerence」という名の必殺シュートがあるわけでもない。
ただ、たしかに「違いをつくれ」は直訳的であり、その点においては批判の対象になるべきと思うのだけど、この表現には、それだけでは終われない部分もある。具体的には、2つ。
ひとつは、この記事を書いた記者が、確信犯的にあえて面白い表現として「違いをつくれ」という直訳にしたのかもしれないと想像される点。どこまでその意図があるのかはわからないけど、たしかに意表を突かれるという意味ではある程度成功している。パンチになっている。実際僕も便器に片足をつっこみそうになった。ただし、結果としては、よい効果だけが表れたとは言い切れないのではないか。
もうひとつは、こういうことがきっかけとなって、make a differenceから「違いをつくる」という定訳、あるいはプレーンな日本語表現が誕生する可能性があるのではないかと思わされる点。「違いをつくる」という表現は今は日本語になっていないから、それを見たらおかしいと思うわけで、誰もが日常的に使うようになったら逆にこれほどmake a differenceを的確に表す言葉もない。その表現が日本語として美しいかどうかは別として。何年か後には、サッカーの監督が、「違いをつくってこい」と選手を送り出すのが日常の光景になっているかもしれない。営業部長が、営業マンに「今日は○○社に行って、違いを見せてこい」と言うようになるのかもしれない。全国紙がこれを使ったということは、その可能性がなきにしもあらずだということを予兆しているのではないのか。実際、make a differenceは頻繁に使われる表現だけに、日本語に化ける素地はできているのかもしれない。ビジネスシーンなんかでは、しょっちゅう使われている言葉だと思う。いままでは水中生物だったmake a differenceが、徐々に両生類へと進化を遂げていて、今まさに太平洋沿岸の陸地にノソノソと這い上がってきているのかもしれないのだ。
というわけで、この記事の「違いをつくれ」はmake a differenceを直訳するというコロンブスの卵的な行為によってパンドラの箱を開けてしまったのであり、その意味においては、その直訳ぶりにつっこみを入れつつ、図らずもたしかにこれは「違いをつくる」訳だったのではないか、などと思ってしまったのである。
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今日でこのブログの3周年です。
振り返るといろいろなことがあった3年間でした。楽しいことも、嬉しいことも、悲しいこともたくさんありましたが、皆様のおかげで書き続けることができました。本当にありがとうございました。
これからも、「違いをつくる」精神で玉田の切れのあるドリブルのように指を動かしながら、翻訳への愛をつれづれなるままに記していきたいと思います!
(>_<)
ちなみに、昨日の夜、夏目さんと兄貴と一緒に大勢で合宿する夢をみました(^^) 何が目的なのかはわかりません。