イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

マッコリ・イン・トランスレーション ~オモビニを探してソウルフルな旅~ 2

2008年06月20日 08時04分42秒 | 旅行記
ホテルに着く。事前情報によるとホテルのフロントでは日本語がよく通じるということだったのだが、実際、受付にいた人たちはとても日本語が上手だった。そして他の外国人と話しているときの英語も見事だった。さらに応対もとてもさわやかだった。施設も部屋も新しくてシンプルでこざっぱりしていて気持ちよい。いいホテルじゃないですか。ヨメによるとこのホテルはネット上でのユーザーの評価がかなり高いところなのだというが(高級ホテルというわけではないのだが)、それも頷ける。まだ午後の二時前。さっそく張り切って外を探検してみることにする。天気もいい。真夏日だ。

外に出る。さあソウルよ、こんにちは。これまでの海外とは違う。日本人と韓国人は、とてもよく似ている。ひょっとしたら、街を行く人たちは僕たちのことを韓国人だと思うかもしれない。黙っていれば、おそらくわからないだろう。その分、僕たちもまたここに住む人の目線で、街を感じることができるかもしれない。そんな淡い期待が脳裏を掠める。それでも、僕たちは、やっぱり観光客然としているのだろうか、それとも、浮くことなく、上手くこの街に溶け込めるのだろうか。そう思って歩き始めた瞬間。カバン屋のオッサンが僕たちを見つけるや否や、「カバンありますよ」と声をかけてきた。やっぱり日本人だということはわかってしまうらしい。それにしても、入国初日に、ホテルを出て10メートルのところで、いきなりカバンなんか買うもんか(^^) 悪いけどしらんぷりして通り過ぎる。

さて、ソウルの街並みは? 当たり前といえば当たり前なのだけど、思っていた以上にそこは「外国」だった。バンコクのようでもあり、ニューヨークのようでもあり、サイパンのようでもあり、これまで訪れたことのある外国の風景と共通するものがたくさんあるような気がする。商店の格子状のシャッター、バス停の構造、荒っぽく行き交う自動車、看板の文字、建物の造り、微妙にやる気がなさそうなコンビニ、生ゴミ、椰子の木。そして、路上のキオスク。たぶんこれは僕が日本人だから思うのだろうけど、日本と日本以外の国は、何かが違う。このインターナショナルな雰囲気、このガイコクっぽさ。このワイルドネス。なんだろう? 街を構成するパーツには、世界共通のコードみたいなものがあって、日本だけはそれに微妙に準拠していない、そんな気すらする。だけどたぶんそれは錯覚だ。他の国の人たちも、自国以外の国に共通して感じる「ガイコク」を持っているに違いない。東京に着いて、わあ、ガイコクにキタ! と感じているに違いないのだ。

市街地中心部は、これでもかというくらいの店と屋台が軒を連ねていて、人々の凄まじいエネルギーに圧倒される。特に、南大門市場は強烈だった。衣料品、食料、金物、玩具、などなど。ありとあらゆるものが、売られている。売り口上をまくしたてるオヤジには圧倒的な迫力がある。まさに、延々と続くアメ横だ。人間のいるところ、マーケットあり。アジア人のいるところ、カオスあり。人間の始原のエネルギーがヒシヒシと伝わってくる。人々は、決して裕福ではないだろう。しかし、ここにはモノと人とカネが溢れている。今日を生きることへの飽くなき意欲に満ち溢れている。なぜだか、懐かしい。自分のルーツがここにあるわけじゃない。だけどおそらく、自分を含めた「ヒト」のルーツはここにある。ヒトがヒトたるゆえんは、マーケットを持ちえたことにもあるのだろう。小さな頃によく連れて行ってもらった夜市の雰囲気にも似ている。それに韓国は、僕たちに懐かしさに近い感じさせる何かで溢れている。韓国は僕たちの祖先であり、お兄さんであり、弟であり、親友であり、悪友であり、未来であり、過去でもある。それにしても、旅の初日に感じる興奮というのは格別だ。ただただ、何もかもが違うことに驚き、喜び、意表をつかれ、笑いがこみ上げてくる。

原初、世界はアメ横だった――、そんな思いを抱きながら、僕たちはどんどんと前に進んでいったのだった。歩くほどに、この街に馴染むことができると信じつつ。

旅の初日練り歩く午後の市場にはあるはずもなき郷愁が溢れ