イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

滋賀の実家に帰省する ~Days and nights in Kyoto~ その4

2008年06月06日 08時42分31秒 | 旅行記
日曜日。東京に戻る日。起床すると、父親はもういなかった。父がパソコンで作った僕宛の手紙がテーブルの上に置いてあった。会いに来てくれてありがとう、父も母も元気です、仕事はしばらく頑張るつもりです、今後も益々ご活躍ください、ありがとうございました――、要約するとそのような意味のことが簡潔に書かれてあった。

ありがとう。また戻ってきます。体に気をつけて、仕事に取り組んでください。ちなみに、僕はヒゲを生やしていたので、土曜日の朝に顔を見た瞬間、父親は少し驚いたようだった。たんなるずぼらでそうなっている部分もおおいにあり、伸ばしては剃り、の繰り返しなのだけど、そう伝えると、そこはやはり元銀行マン、そしてA型、そして昔気質、ということで、ヒゲたるもの伸ばすのであれば常に一定の長さに保たなければ、ということで、今は使っていないという多機能の電気剃刀をくれた。ミリ単位で長さを調節できるから、イチローみたいに常に同じヒゲの濃さを保つことができるはず、なのだが、実は、息子的には毎朝ヒゲを剃らなくていいというこの自由も捨てがたいのだった。

朝食を摂り、母親と自宅近くの琵琶湖周辺を散歩することにした。歩いて十分もかからずに湖畔に行ける。琵琶湖は広い。ほとんど海と同じだ。この辺りは、住むには本当によいところだと思う。京都にも、大阪にも十分通える位置にあって、この雄大さを味わえる。京都もゆったりしているけど、滋賀県もさらにゆったりしている。ガンジス川と同じで、川のこちら側には俗世があるけど、向こう側は何もない聖なる空間(つまり湖)が拡がっているのだ。この聖と俗とのコントラストが、滋賀県の精神性の根底にある。バルトの言葉を借りるなら、琵琶湖は滋賀県にとっての、まさに「空虚なる中心」なのだ。

母親は昔から、散歩中、釣りをしていたり、絵を描いていたりする人がいると、平気で話しかける。すると、相手は意外と自然に話をしてくれるものである。釣り人がたくさんいた。ターゲットは、ブルーギルとかブラックバスとか、その手の魚なのかと思ったのだけど、釣り人のタンクを除いたら、そこにいたのは小さな魚だった。母親がそこにいた優しそうなお兄さんに尋ねると、彼は「稚鮎、稚鮎です」とはんなりと答えたのだった。小さな鮎が、十匹ほど、所在なさげに泳いでいた。やっぱり、てんぷら? にされてしまうのだろうか。柔らかい関西弁、休日に琵琶湖で稚鮎釣り。いい人生だな~。

家に戻る。何気ない会話のなかから、小さい頃に僕が読んでいた本のことが話題になった。家にはまだ、それらの本が残っていると母は言う。さっそく奥の方にあるダンボールをひっぱり出して、中を覗いてみた。懐かしい本の数々が出てきた。すっかり忘れていたものも多いけど、表紙を見るとすぐに思い出すことができた。しばらく手にとって眺める。とても好きだった佐藤さとるのコロボックルシリーズ『星からおちた小さな人』、『ふしぎな目をした男の子』の二冊を持って帰ることにした。でもこれらはシリーズの三作目と四作目なのだけど、最初の二冊は探しても見当たらなかった。二十歳くらいのときに、たくさん本を処分したことがあって、その時に捨ててしまったのかもしれない。若かったから、そのときはもう子どもの頃に読んでいた本なんていらんと思ったんだろうけど、つくづく、アホやな~、と思う。

帰る前に京都をぶらっとしたかった。母親も一緒に行くという。家を出て、琵琶湖線に乗り、京都に向かった。関西はボックス席の列車が多い。押し込める人の数は減るのかもしれないけど、人間らしさは保てるような気がする。だけど、中央線をボックス席にするわけにはいかないのだろうな.......。15分もすると、京都駅が近づいてきた。京都タワー。いかん、昨今、タワーと母親は組み合わせが強すぎる。ともかくお母さん、当てもなく、京都を散策しましょう。

早起きの父が残せしテーブルの上の手紙と電気剃刀