田母神俊雄・前航空幕僚長は「今度戦争するときは、絶対に勝とう」と言えばよかったのに

2008年11月11日 21時18分54秒 | 政治
◆田母神俊雄・前航空幕僚長が11月11日、参議院外交防衛委員会に参考人招致されて、
政府見解に反する懸賞論文を発表した問題について質問された。田母神氏は、「間違いであるとは考えていない」「防衛について議論が分かれるような憲法は改正すべきである」などと見解を述べた。あくまでも信念を曲げない考えのようであった。見よう、聞きようによっては、背広姿の政治家が制服組のトップを務めた田母神氏に「鋭い刃」を突きつけられて、手も足もでないという「だらしなさ」を曝け出した瞬間であった。否、「炙り出された」と言った方が正確であろう。
◆この問題は、麻生太郎首相、浜田靖一防衛相をはじめ、国会議員である政治家や閣僚らの輩出基盤である国権の最高機関たる国会がこれまで、防衛省・自衛隊に対して「文民統制」(シビリアン・コントロール)を真面目に捉えてこなかったところに、問題の本質がある。言い換えれば、「文民統制」とは何かが問われているのである。
 それは、政治家が、防衛庁・自衛隊設置以来、「文民」を「文官」と取り違え、事務官の集団にすぎない「内部部局」の「背広組官僚」に統制を任せ切りにしてきたことに起因する。早い話が、国会も内閣も、まともに文民統制してこなかった。不真面目だったのである。その結果、安倍政権末期、当時の守屋武昌・防衛事務次官が、後任人事をめぐり、小池百合子防衛相の人事構想に異議を唱えて首相官邸に乗り込み、抗議するのを許してしまうような「秩序の乱れ」を招いていたのである。これは、明らかに守屋事務次官による小池防衛相に対する「反抗」であり、「上官侮辱」に止まらず、まかり間違えば、「反乱」になりかねない重大事態であった。
しかし、安倍政権はもとより、国会ですら、これを明白な「文民統制違反事件」とは捉えず、その責任も問わず、懲戒処分もせず、不問に付し、退職後、退職金を満額支払っていた。この怠慢と対処の誤りは、今回の田母神氏の論文発表どころの話ではなかった。
◆さて、自衛官は、上下問わず、内心の自由である思想・良心・信条の自由を持ち、表現することは、どこまで許されるのであろうか。あるいは、まったく許されないのであろうか。もし、許されないとすれば、防衛省・自衛隊内で行われている研究なども、一切公表できないことにもなりかねない。こうなると、自衛官は、「頭を働かせてはならない。首から下だけで動いていればよい」というようにまさに、「ロボット」であり続けることが要請される。これは、隊列行進で足を真っ直ぐ伸ばして歩く姿が示しているように、軍人に求められる本来の姿ではあるけれど、それならば、機械をコントロールする側に、もっとしっかりしてもらわねばならない。いかに機械、ロボットとはいえ、映画「2001年宇宙の旅」のコンピュータ「ハル」と同じように反抗することもあり得る。
◆それにしても、「日本は侵略国であった」とか、「侵略国ではなかった」などと、無意味で不毛な議論をいつまでも繰り返せば気が済むのであろうか。そもそも「戦争」とは、それぞれの民族が生存を賭けて行うものである。自衛戦争もあれば、侵略戦争もある。ましてや帝国主義・植民地主義の時代の話であれば、どこの国も、みな侵略国であったことは、歴然たる事実である。その最たる国が、欧米列強であり、これを真似た大日本帝国であり、大東亜・太平洋戦争後は、ソ連軍が旧満州や日本の北方領土を、中国軍がベトナムやチベットなど周辺国を、ソ連軍がアフガニスタンを、アメリカがベトナムを、アメリカと英国連合軍が、アフガニスタンとイラクをいずれも「侵略」して今日に至っている。
 こうした侵略の歴史から見れば、田母神氏が「日本は侵略国ではなかった」というのは、大きな間違いであり、それを言うのなら、「大日本帝国は、欧米列強に侵略されていたアジアを解放するため、陸海軍を先頭にして、自衛・侵略戦争を戦った」と言うべきであった。それでも満足しなければ、「日本は侵略国であったなどと民族の誇りを損なうようなことを自ら吹聴するのは止めよう。今度戦争するときは、絶対に勝とう」と言えばよい。いずれにしても、「勝てば官軍、負ければ賊軍」なのであり、現時点においては、田母神氏の論文は、「犬の遠吠え」にすぎない。それどころか、政府や国会がいきり立って、責任を追及するよりは、政治家自らの「文民統制能力の欠如」を猛省するべきである。
〔参考〕歴史家・草地貞吾先生(元関東軍作戦班長、元大佐)の「大東亜戦争正当論ー大東亜戦争は空前の人類革命」より引用。
 〔大東亜戦争は絶好無二の時点に発動した〕
 「その第二の理由は、予想大東亜戦場における敵方戦力の最低時であった。
 あの当時は恰も欧州において、独・伊枢軸側と英・ソ連側が、第二次世界大戦ともいうべき死闘を続けていた。ために、英・ソ連合側の東亜に対する戦力の増強指向は自ら制限せられた。加えてわが国は、ソ連との間に、昭和十六年五月、不可侵条約を結び、対北方の危険性が緩和された。
 反面、当時のアジア全地域は三百年来、白色帝国主義に完全支配され、ひたすら奴隷的桃源の甘夢をむさぼっている状態であった。 ただ、残された問題は米国であるが、米国太平洋艦隊の根拠はハワイを急襲成功すれば一年ぐらいの余裕が生じ、それまでの間に大東亜戦場の形勢は世界全戦場との関連において、何とかなるだろう程度の大本営判断ではなかったか。それ以上のことは、神様でも分かるものではない。
 大東亜戦争を頭から無謀の戦争という連中が多いが、前述の桶狭間合戦や関が原合戦、また日清・日露戦争に比しても決して無謀などというに当たらない。それが売られたケンカなるにおいて特に然りである。
 その第三は、台湾・海南島・仏印(インドシナ)にまで作戦面が延伸し、好適の前進基地が設定せられたことである。
 大観すれば日露戦争以来の歴史の集積の結果であり、ここまで出ていなければ、白色人種東亜の牙城シンガポールを攻略奪取することは、当時の戦争手段では不可能であったからだ。
 これを要するに、わが作戦発起地が仏印に推進せられざるかぎり、大東亜戦争の発動は無理であった。
 その第四の理由は、関特演(関東軍特殊演習)として対北方準備陣を布いていたことである。
 昭和十六年六月二十二日、突如として欧州東方戦線に独ソ戦が発生した。ためにわが国は北方情勢の急変に対処するため、七、八の両月にわたり約五十万に及ぶ兵力の大動員を行い、その主力を関東軍隷下に入れ、対北方警戒に遺憾なからしめた。これが、はしなくも大東亜戦争の総予備的戦力--昔式に言えば後詰め、ということになった。
 逆に言えば、適時に関特演の行われたこと自体、南方作戦発動の一つの引鉄的作用をなしたと言えないこともあるまい。
 かつて、対南方作戦の下準備と心構えが着々と完成しつつあった時しも、ハル・ノートという不遜無法の最後通牒が寄せられたので、チャンスとばかり十二月八日の開戦となった。
 その八日・九日・十日の七十二時間に、世界情勢は完全に一変した。そのことはほかならぬ英国首相チャーチルが告白しているのだから(前記)ウソとは申せまい。
 すなわち、あの十二げつ八日という時点は、世界史に特筆大書さるべき記念日である。その意味から言えば、ハルなる人物は、日本に対して、この歴史的最大・最高・最良・絶妙の『時』を与えてくれた恩人と言えないこともない。恰も本能寺の変が、豊臣秀吉に天下人となる絶好の機会を提供してくれた如くに」 (つづく)
板垣英憲マスコミ事務所

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2008-11-11 21:55:25

『椿事件』

1993年9月21日、民間放送連盟の「放送番組調査会」の会合の中で、
テレビ朝日報道局長の椿貞良が、選挙時の局の報道姿勢に関して

「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。
今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、
なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる
手助けになるような報道をしようではないか」

との方針で局内をまとめた、という趣旨の発言を行う。

(ウィキペディア「椿事件」)
返信する
納得します。 (中島雅治)
2009-01-19 02:44:13
確かに、おっしゃることで納得します。

『いずれにしても、「勝てば官軍、負ければ賊軍」なのであり、現時点においては、田母神氏の論文は、「犬の遠吠え」にすぎない。それどころか、政府や国会がいきり立って、責任を追及するよりは、政治家自らの「文民統制能力の欠如」を猛省するべきである。』

そのとおりだと思います。
文民統制の問題点のすり替えが起こっていると感じています。
返信する

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