平戸島~五島列島の海旅 3日目
早朝まだ暗いうちから強風がテントを揺らす。北東の風、風速10m/sといったところか。防波堤の上に立ち、徐々にぼんやり明けてきた外海の海面を凝視すると、遠くで白波が崩れ尾を引いているのが見える。行くかやめとくか、かなり悩んだ末に決断。
海には出ず、丸一日野崎島をトレッキングすることにした。
この決断にはいつもかなり悩む。「やめとく」と決めてから、のちのち風波が収まってくることもある。状況によってはそれを見て再び臨戦態勢を整え、出艇することもあるが、一旦停滞すると決めたらその決断はぎりぎりのところでの直感からくるものなので、それに従った方がいい。直感とは無意識裏に納められた数々の海旅経験によって醸造されたものだからだ。いったん気を緩めて現場を離れた時、行けるような気になってくるというのはひとつの人間心理だけど、そこには希望的観測も入っている。最前線で熟考した上でビビンときた判断の方がより現実的で信頼に足ることが多い。
今日はたとえ風が止み、べた凪になっても海に出ないことにしよう。いや、絶対に出ん。二半岳の頂上まで登り、周囲の島々を見渡し、近辺の全体像を把握しよう。島を色々見て回って今後の作戦をじっくり考えよう。そう思ったら気楽になり、自由な一日として俄然楽しくなってきた。朝っぱらから酒飲んでも別に問題ないわけだからな。
野崎島は周囲15キロあり、300メートルを超える山々が島の背骨のように連なり、平地はほとんどない。全島天然林に覆われていて、約500頭以上の野生の鹿が生息する島だ。隠れキリシタンの歴史もあり美しい教会も残っている。昭和30年代には600人以上の住民がいたらしいが、その後急激に人口が減少し、現在はこの島に存在する「自然学塾村」の管理人一人が住んでいるのみで、実質上は無人島になっている。ただ、隣の小値賀島からのフェリーの発着が毎日あり、観光客が結構訪れている。ぼくが逃げ込んできた港も現在工事中で、作業員のおじさんに聞くところによると、教会(野首天主堂)が世界遺産候補としてノミネートされたことにより、よりいっそうの来島客を見込んで港に売店やトイレなどを建設中とのことだった。そのおじさんと色々雑談し、廃校になった学校を改修した宿泊施設(前述した自然学塾村)や教会のこと、また山の頂上まで登るコースや古代の祭祀場だった巨石の神社までの道のりなどを教えてもらった。
和歌山の沿岸でもよく見かけるアコウの木があちこちで自生していた。アコウは黒潮に
乗って種子が運ばれてくる亜熱帯植物だが、さすがここは対馬暖流の通り道だ。
昔、600人以上が住んでいた島だけあって、山の斜面には段々畑の跡地が残っている。
鹿はあちこちにいる。すごく優雅で平和な光景に見えるけれど、実は彼らにとって
過酷な現実が展開されている。メス鹿を巡り、オス同士の争いに勝ったボス鹿だけが
子孫を残すことができ、破れた牡鹿は食料の限られた島の中で飢え、やがて死んでゆくという。
シビアだが、そうすることによって淘汰され、 増えすぎることによる種全体の滅亡を回避
しているようだ。もちろんそんなことを一頭一頭の鹿は意識していないだろうが、種の
見えざるホメオスタシスが働いているというわけだ。
二半岳(306m)の頂上から西の方角を眺める。小値賀島周辺にたくさんの小島が
点在してして、一個一個をじっくり巡って漕ぎたい気持ちにかられる。まあそんなことしていると
何日かかるか分からないのでこの旅では無理だけれど、いつかカヤックフィッシング&
キャンプしながら一週間くらい巡ってみたい。
二半岳から北の方角を眺める。目の前は現在住民3人だけが住んでいるという六島だ。
その向こうは宇久島。潮の流れは速いが、穏やかな季節、島々をカヤックで巡りゆくには
最高のロケーションだ。
二半岳頂上から東を眺める。向こうは平戸島だ。昨日、この海を渡ってきたというわけだ。
対馬暖流の通り道、モロに黒潮系の海の色だ。風はより強くなり、12m~15m/sくらい
に上がっている。見ての通り、白く尾を引く波に一面覆われている。やはり停滞してよかった。
二半岳頂上から南を眺める。地球の丸いラインが意識できる。
黒潮ブルーと地球のライン。
そして未だに生々しく身体に残っている、昨日対馬暖流を横切ったときの体感。
実感とイマジネーションとが混じり合う、「プラネット感覚」が起動する瞬間だ。
二半岳山頂への道。かなり石がゴロゴロして荒れた登山道で、クロックスで歩くのは
しんどかった。
明治15年に設立された野首天主堂。当初は木造だったが、隠れキリシタンの人々が日々の労働でこつこつと
なけなしのお金を貯め、念願叶って赤レンガの本格的な教会として建設された。
島の北西斜面に鎮座する「王位石(おえいし)」。古代の信仰の対象とされ、
航海の安全を守るシンボルとして奉られていたという。なんとも不思議な岩の形状と
配置だが、自然岩説、人工説の両方があるらしい。後日、小値賀島で元博物館の
学芸員だったという喫茶「おーがにっく」のマスターに聞くところによると、もともとあった
自然岩に上のフラットな岩を乗せたのだろうという。つまり半分天然、半分人工と考えるのが
一番理にかなっているらしい。
島の所々に朽ち果てた家々がうち捨てられている。中には布団がそのまま敷かれていたり、
生々しい生活の気配も残っている。
これはダムである。ここで集められた水は3キロ西側にある小値賀島に
海底パイプを通して送られる(小値賀島は人口2000人以上住んでいるが、
平坦な土地で川がなく、水が供給できないので、この野崎島から運んでいるというわけ。
廃校になった学校の校舎や運動場を改修したという宿泊、キャンプ施設が島内にある。
常駐者がひとりいて、また毎日スタッフが小値賀島からフェリーで通っているらしい。
どんなシステムになっているのか知りたいと思い、「見学させて下さい」と建物の中に入っていったが、
掃除中の一人の男性に怪訝そうな目で見られ「どうやってこの島に来たんですか」と聞かれた。
「シーカヤックで平戸島から渡ってきました」と答えると、ますます変な目で見られて、
「ここは小値賀島のアイランドツーリズムの事務所で手続きをしてからしか立入り出来ない
ことになっています」と冷たくあしらわれた。まあ仕方ないと思ったが、後日ここでは、修学旅行の
小中学生を相手に港の中でカヤック体験もやっているということを知った(後日小値賀島アイランドツーリズムの
スタッフの数人と知り合いになり、この組織の問題点も含め、かなり色々教えてもらった)。
ということはある意味、同業者だ。仕事でカヤックに接していて、シーカヤック旅に興味を
全く示さないなんて・・・・、と、逆に疑いの目を持ってしまった。
「シーカヤックのこと、分かってやってんの? 」と。
シーカヤックとは、旅をしてこそ、その本質が分かる乗り物なのである。
このやりとりをしていると奥の方から坊主頭の若い兄ちゃんが出てきて、その彼は
ぼくの話に興味しんしんだったが、ぼくの居場所ではないなと思ってぼくの方から早々に立ち去った。
(後日、この坊主頭のニイチャンと再びあい、夜一緒に酒飲みながら色々話したかったと言ってくれた)。