「私は私という男がこの世にいた証を何か残せただろうか?」
と内記に尋ねる幸村
内記曰く「人の値打ちは時が決めるもの。」と…
「昌幸を乗り越え、徳川家康と渡り合った日本一の兵として
語り継がれるでしょう。大事なのはいかに生きたかです!!」
幸村主従、完璧に死を覚悟していますね
幸村は家康さえ打ち取れば交渉を有利に運べると思っていた
様ですが、果たしてそうでしょうか??
少し疑問が残ります
最期に家康と対峙した際に家康も言っていましたが、家康が
亡くなったとしても直に豊臣の天下になるとは思われません
「わしを殺したところで何も変わらん!!戦で雌雄を決する世
は終わった!!」と言い放つ家康の言葉には重みがあります
やはり家康は政治家なのです
家康が言い放った言葉は幸村にも理解出来た筈ですが、幸村
は政治家ではありません
「我が父の為、友の為、先に死んでいった愛する者達の為に
お前を討ち果たさなければならなのだ~」と絶叫する幸村。
まるで仇討ちの為とでも言っている様ですね
その家康に狙いを定め馬上筒を構えた瞬間…
救援に来た秀忠軍に左腕を撃たれ万事休す
長い戦いが終わりいよいよ佐助を伴い最後の時を迎えます
泥まみれで血だらけにもかかわらず何て美しい武者姿でし
ょうか
色んな時代劇を見て来ましたが、堺・幸村ほど鎧姿が似合
う役者は初めてです。
又、何処かで是非見たいものです
ところで
幸村は何故?徳川政権を容認出来なかったのでしょうか
長い蟄居生活の為でしょうか?
それとも豊臣家への忠誠心の為でしょうか?
気力体力が充実していた時を無駄に過ごし、老いてゆく
自分を見るにつけ安穏な選択をする訳にはいかなかった
のではないのかと個人的には思っています
『人生五十年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり…』
敦盛の一節ですが、50歳も生きれば十分とされた時代で
す
49歳となった幸村にとって生死は問題ではなくなってい
たのです。
14年間の鬱積した思いをぶつけるには豊臣軍として最後
の大戦をしてみたいと思っても不思議有りません
軍略家として優れた才能を持っていた幸村なら当然の選
択だったのかも知れません
秀吉の辞世の句ではありませんが、浪速の事も夢のまた
夢という事なのでしょうかね
来年は女城主・直虎が始まります
女性として城主になり、井伊家を滅亡から救い、徳川四
天王の一人・井伊直政を育てた女傑・直虎ですが、直虎
が男だったという説が浮上しています
あくまでもドラマとして見る分には良いのですが、史実
として全く違うとなれば問題です
この辺りをどのように描くのか興味がありますが、タイ
ミングが悪いのも確かですね