函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

真田丸、浪速の事も夢のまた夢!!

2016-12-19 | 歴史

「私は私という男がこの世にいた証を何か残せただろうか?」

と内記に尋ねる幸村

内記曰く「人の値打ちは時が決めるもの。」と…

「昌幸を乗り越え、徳川家康と渡り合った日本一の兵として

語り継がれるでしょう。大事なのはいかに生きたかです!!

幸村主従、完璧に死を覚悟していますね


幸村は家康さえ打ち取れば交渉を有利に運べると思っていた

様ですが、果たしてそうでしょうか??

少し疑問が残ります

最期に家康と対峙した際に家康も言っていましたが、家康が

亡くなったとしても直に豊臣の天下になるとは思われません

「わしを殺したところで何も変わらん!!戦で雌雄を決する世

は終わった!!」と言い放つ家康の言葉には重みがあります

やはり家康は政治家なのです

家康が言い放った言葉は幸村にも理解出来た筈ですが、幸村

は政治家ではありません

「我が父の為、友の為、先に死んでいった愛する者達の為に

お前を討ち果たさなければならなのだ~」と絶叫する幸村。

まるで仇討ちの為とでも言っている様ですね

その家康に狙いを定め馬上筒を構えた瞬間…

救援に来た秀忠軍に左腕を撃たれ万事休す

長い戦いが終わりいよいよ佐助を伴い最後の時を迎えます

泥まみれで血だらけにもかかわらず何て美しい武者姿でし

ょうか

色んな時代劇を見て来ましたが、堺・幸村ほど鎧姿が似合

う役者は初めてです。

又、何処かで是非見たいものです

ところで

幸村は何故?徳川政権を容認出来なかったのでしょうか

長い蟄居生活の為でしょうか?

それとも豊臣家への忠誠心の為でしょうか?

気力体力が充実していた時を無駄に過ごし、老いてゆく

自分を見るにつけ安穏な選択をする訳にはいかなかった

のではないのかと個人的には思っています

『人生五十年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり…』

敦盛の一節ですが、50歳も生きれば十分とされた時代で

49歳となった幸村にとって生死は問題ではなくなってい

たのです。

14年間の鬱積した思いをぶつけるには豊臣軍として最後

の大戦をしてみたいと思っても不思議有りません

軍略家として優れた才能を持っていた幸村なら当然の選

択だったのかも知れません

秀吉の辞世の句ではありませんが、浪速の事も夢のまた

夢という事なのでしょうかね  

 

来年は女城主・直虎が始まります

女性として城主になり、井伊家を滅亡から救い、徳川四

天王の一人・井伊直政を育てた女傑・直虎ですが、直虎

が男だったという説が浮上しています

あくまでもドラマとして見る分には良いのですが、史実

として全く違うとなれば問題です

この辺りをどのように描くのか興味がありますが、タイ

ミングが悪いのも確かですね



コメント
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