函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

真田丸、世に出た瞬間です!!

2016-11-14 | 歴史

明石全登がミサをしている最中に木津川口の夜討ち

真田丸ではなく兵の手薄なところばかり攻められた

のですから毛利勝永でなくとも内通者を疑いますよ

幸村も勝永と同じ事を考えていた様です。

一体、内通者は誰なのか??

幸村は確信していたみたいです。

城の西側・博労口が弱点だと徳川に伝わるのを前提

に有楽斎に囁く幸村

案の定、徳川は博労口を占拠。

犯人確定です

 

いよいよ冬の陣の始まりです

無駄に時間を費やせば否応なしに上杉と戦わなくて

なりません。

上杉の後ろに控えている信之の息子達とも…

一刻も早く戦いの火蓋を切らなくてはならなくなっ

た幸村。

戦いの口火は上田城攻めと同じく「高砂」の舞です

舞っているのは幸村ではなく息子の大助。

敵を挑発し真田丸に誘き寄せ、千挺ともいわれてい

る銃で一斉射撃

決起に走る前田勢をはじめとする徳川勢に完勝

冬の陣まで全く無名といってもよかった幸村が世に

出た瞬間です

数倍の敵を相手に一歩も引かず殲滅したのですから

驚きですね

戦いをじ~っと見ていた上杉景勝も思わず「日本一

の兵、真田左衛門の佐幸村ああぁぁ~!!」と絶叫。

リアルタイムでこの戦いが見られたら誰もがそう叫

んでいた筈です

この一瞬が後世の真田幸村像の全てと言っても過言

ではありません

一年足らずの間に人々に鮮烈な記憶を残し散ってい

った幸村、その記憶が後世にまで語り継がれてゆく

のです

そんな武将は後にも先にも真田幸村一人しか僕は知

りません

ところで…

ドラマでは…豊臣軍内での幸村の発言権が高そうに

描かれていましたが、実際はそれほどでもなかった

みたいですね

ズバリ!!発言力は兵力の数です。

いかに多くの兵を連れて来たかが重要なポイントな

のですが、幸村が連れて来たのは少しの家臣と金で

雇った兵だけ

ましてや、実戦経験も殆ど無い武将に指揮権を任せ

る事など有り得ません

父・昌幸が冬の陣に参戦出来ていれば話は別ですが、

真田の名前だけで10万とも言われている軍勢を動か

す事など初めから無理なのです


しかし、幸村の発言力不足で籠城策に決したにもか

かわらず幸村は諦めません

不利だと思われても最善の策をたて敵に挑みます

武将の本能なのか?培ってきた軍略を試してみたい

のか?

もしかして…死に場所を探していたのは又兵衛だけ

ではなく幸村も同じだったのかも知れません


幸村の戦い方を見ていると楠木正成を彷彿されます。

少ない兵力で敵の最前線に出城を作り、敵を誘き寄

せ奇策を労し殲滅、天性の才もあったのでしょうが、

14年も配流生活を送っていた武将が一朝一夕に出来

る技ではありません

おそらく配流先でも父・昌幸から戦の薫陶を受けて

いたのでしょうね

そう考えると、昌幸こそが楠木正成の再来といえる

のかも??

個人的には、昌幸が指揮する豊臣軍の戦いを見て見

たかった気がします

おそらく、あちこちで兵を挙げ敵の戦力を分散、長

期戦に持ち込む様な戦いをした筈。

謙信の小田原攻めもそうでしたが、小田原城が堅固

だっただけではなく長期の陣ともなると味方同士で

も疑心暗鬼に陥り内部崩壊を起こし撤退せざるを負

えなくなります

もしかして?意外と豊臣が勝つかも?と心変わりす

る武将が出てきても不思議有りません。


歴史にイフ?は無いと言われますが、イフを想像す

るのもやっぱり歴史の醍醐味ですよね




コメント
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