自身の生き様に葛藤を覚える家康
そこに登場したのが、旧主・今川氏真でしたね
「見違えるほど成長した。立派になった」と家
康を称える氏真ですが、「平気で人を殺せるよ
うになっただけじゃ」と暗い表情の家康
いつになく弱気な家康に対し、「家康よ、弟よ、
弱音を吐きたいときはこの兄が引き受ける。そ
のために来た。おぬしに助けられた命もあるこ
とを忘れるな。本当のおぬしに戻れる日もきっ
とくる」と慰める氏真の前で涙を流す家康でし
たね
実像の家康は違っていたと思いますが、ドラマ
の中での悩み苦しむ姿こそ(どうする家康)で脚
本家が描きたかった事だった気がしています
これから大阪の陣が勃発しますが、家康は豊臣
の滅亡を望んでいなかったと個人的には思って
います。
一大名として生きる道を閉ざしたのは豊臣の方
なのでは…
大阪城には莫大な金と多数の浪人達が溢れてい
ました
浪人達にとって御家再興を果たすには戦しかな
かったのです
軍資金と兵力が整えば戦しかありません
そう言う意味では、大阪の陣が勃発したのにも
必然性があったと言えます。
多数の浪人達を召し抱えたとは言え、纏めるの
は至難の業
軍として動かすには司令塔が必要です
個人的には、真田昌幸が生きていれば少しは違
っていたかも?と思っています。
昌幸に全権を委任すれば、まさか?が起こった
のかも知れません
歴史にIFは無いと言いますが、イマジネーショ
ンを働かせるのも歴史の面白さだと思っている
僕なのですが…
ところで…
ドラマでは、スリムで高身長の秀頼として描か
れていましたが…
諸説ありますが、実際の秀頼は、身長197cm、
体重161㎏、現代の力士と比べてもかなり大き
い体形だった見たいです
だとすれば、140cmそこそこしかなかった秀吉
の子供だとはとても思われませんよね
尤も、母親の淀殿も168と当時としてはかなり
の長身ですし、淀殿の父・浅井長政も180cmと
かなりの高身長
秀頼が大きかったのは、浅井家の血を濃く受け
た隔世遺伝だったのかも知れません
巨漢だった秀頼に面白いエピソードが残ってい
ます
関ケ原の戦いの折、秀頼本人は戦場に赴くつも
りでしたが、あまりに巨漢だったため馬に乗る
事が出来ず、止むを得ず出馬を諦めたと言うの
です
嘘の様な話ですね
生涯殆ど大阪城で過ごした秀頼なので、あり得
ない話と否定も出来ません???
皆さんは信じられますか?