函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

鎌倉殿の13人、北条の乱!!

2022-08-15 | 歴史

頼家と比企の密議を聞いていた政子が時政に報告

したと吾妻鑑には書かれていますが、かなり不自

然ですよね

梶原景時の時も襖越しに聞いていた実衣の忠告か

ら始まっています 

吾妻鑑ではどうも立ち聞きが多すぎますよね 

信憑性が薄いと言うか、ワンパターンと言うか… 

 

事の発端は頼家が北条時政追討の許可を比企能員

に与えた事ですが、全成を殺したのが事の始まり

様な気がします

何が何でも一幡を次期将軍としたい能員の焦りの

様なものを感じます 

全成の息子・頼善を殺したのも焦りの表れでしょ

うか? 

一幡以外の源氏の血を何が何でも無くしたかった

のでしょうね

頼家が生きているうちに、一幡の外祖父としての

立ち位置を確固たるものにしたかったのでしょう

か? 

しかし情報戦では北条が一枚上だった様です

いち早く有力御家人を陣営に取り込み、比企を孤

立させていきます 

時政は、大江広元や三浦義村等の支持を取り付け

た後、薬師如来の供養と称して比企能員を北条館

に招き入れ惨殺

何とも呆気ない最後です 

政子の命を受けた義時が比企邸を急襲殲滅させ

すが、あまりにも手際が良すぎます

一連の流れを見ると、どうも裏で糸を引いていた

のは政子の様な気がしてなりません 

比企が権力を握れば、尼御台としての政子の立場

は殆ど無くなりますよね 

権威は有っても権力は無くなるのです 

政子をはじめ、北条家の人々にとって比企を排除

する事でしか権力を維持する事は出来なかったの

でしょうかね

 

引き金を引いたのは確かに比企かも知れませんが、

先手を打ったのは北条。 

比企の乱と言うよりは北条の乱と言った方が的を

得ている感じがするのは僕だけでしょうかね

 

 

コメント
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