函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

麒麟がくる、似た者親子!!

2020-02-10 | Weblog

尾張城下に潜入する光秀と菊丸
どこかで見たような光景です。 
風林火山で山本勘助が越後に潜入したシーンを思い出します。 
菊丸はともかく光秀はどう見ても農民には見えません 
キャラクター的には無理がありますよね

もっと驚いたのが!! 
種子島の本能寺末寺から鉄砲製造の技術を得、本能寺で鉄砲を製造していた とのくだり。 
脚本としては面白いのですが、全くあり得ません
将軍家の意向で制作していたと言っていましたが、そんな財力を将軍家が持っていた 
とも思われません。 
せめて、三好家や松永久秀の意向でと言われれば少しは信憑性が増したかも知れませんね。 
 ところで
戦国武将の中でも稀有な武将・織田信長
その信長に多大な影響を与えた人物こそ間違いなく父信秀です 
有力な港を抑え交易による富をうみ、門前町では後に信長が始めたと言われている楽市楽座

的な自由経済の様な事もやっていたのではないのでしょうか

もし?そうだとすれば何と卓越した経済感覚しょうか

そればかりではありません。

朝廷や公家にもしっかりとしたパイプを作り、居住地も時々の 環境の変化に応じて替えて

ゆくなど信長との共通点も多いのです 

決して鳶が鷹を産んだ訳ではない様ですね。 
信長が天下統一一歩手前まで行けたのは信秀の下地があったからです 
この親にしてこの子有といったところでしょうか 
同じことが道三親子にも言えそうです。 
信長親子も道三親子も似た者親子だからこそ成し遂げられたのでしょうかね 
 
信秀は守護・斯波氏からすると倍々臣。 
そんな信秀なのでいくら財力が有ったとはとはいえ尾張を纏めるのは 並大抵ではありません。 
そういう言う意味でも信秀と道三は似たような立場だったのかも知れません。 
信秀には男女合わせて20人以上の子供がいたと言われていますが、殆ど母親が違うのです。 
有力者の土豪の娘に子供を産ませ、次々と配下とし家臣団を形成するといったやり方で 身代

を大きくしていったのでしょうね。 
この時代は子供の数が勢力の大きさに比例していると言っても良いのかも知れません

 

 

 

 

 

 

コメント
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