清盛、いや平家にとっての大事件
順調に出世街道を歩んできた清盛が初めて体験する挫折、
祇園社事件ですね
史実では…
田楽を奉納すべく、郎党を率いて祇園社を訪れていた清盛。
武装していた郎党を祇園社側に咎められた事から小競り合
いが発生し、郎党が放った矢が神殿や神官に命中したとさ
れています。
その場は納まったかに見えたのですが、何故か延暦寺が朝
廷に訴え大騒動
ドラマでは昔の仲間に詰られた兎丸が反撃、神官に暴行を加
えたため騒ぎになり強訴へと発展。
鎮圧のため平氏の替りに派遣された源氏、その頭越しに清盛
自身が神輿に弓を射ってしましたね
もし?清盛自身が矢を射ったとなれば流石に微罪では済まな
かった筈です。
祇園社とは八坂神社の事ですが、神社と平家が起こした揉め
事に寺である延暦寺がしゃしゃり出てきたのでしょうか??
どうやらこの時期までの祇園社は神社と言うよりは寺として認
識されていたようです。
さしずめ清盛は神や仏を恐れぬ不届き者と言う事でしょうか
紆余曲折がありましたが、鳥羽院による裁断が下ります。
贖銅30斤という罰金刑
こんな軽い処分で納まるはずは無いと誰しもが思った筈です。
ところが、幸いな事に訴えた延暦寺側で内紛が勃発
どうやら事件の処理を巡っての争いのようですが、清盛にと
ってはラッキーでした
内紛が起こらなければ鳥羽院の裁定に対し不服を申し立て
再度の強訴に及んだはずです。
収拾のつかなくなる事態に陥ったかも知れません
祇園社事件をきっかけに、法皇が初めて延暦寺に対し強気
の姿勢に出ます。
裏を返せば、平氏の武力が背景になければ政が立ち行かな
くなっていたともとれますね
そう言う意味では忠盛・清盛の流罪は初めから法皇の選択肢
には無かったのでは…
この事件をきっかけに頭角を現すのが清盛の弟の家盛
官位も従四位下と清盛と並ぶ勢いです
鳥羽法皇にとって平家の武力と財力は必要ですが、清盛の
力が強くなり過ぎるのも困る訳です
家盛を清盛並に昇進させた裏にはそんな事情があったので
と僕は思っています。
ところで
そんな家盛が何故突然に亡くなったのでしょうか??
病を押して法王の熊野詣に同行したと言われていますが、そ
の死があまりにも突然なので疑惑を覚えます
法王の熊野詣に同行したと言う事は…
この時期には清盛と家盛の立場が逆転していたのかも知れま
せん。
とすれば、清盛の平家嫡流の座が危うくなってしまいます
清盛より五歳下の家盛、彼が亡くなれば平家の跡取りは清盛
以外にいません。
家盛の弟達では平家を纏めてゆくには幼過ぎるからです。
家盛の死に清盛が関与していたと考えるのが自然です
兄弟仲が良かったと言われている平家ですが、跡取りをめぐ
る争いは別なようですね