石造美術紀行

石造美術の探訪記

天理市王墓山の宝篋印塔に関する情報

2007-10-16 22:20:22 | 奈良県

天理市王墓山の宝篋印塔に関する情報

奈良県天理市上総の王墓山の宝篋印塔2基はどこにあるのでしょうか?という記事を掲載しましたが、さる情報によると、どうも塔身が近年盗難に遭い、現在は容易に観察できない状況にあるとのことでした。(ショック!)屋蓋四注形の宝篋印塔の代表例として、しばしば諸書に取り上げられ、大和でも屈指の古い宝篋印塔として著名な石塔でしたが、これを盗もうなど、考えられぬ暴挙、遺憾の極みです。塔身が無事に戻り旧状に復することを切に祈念するとともに、盗人には必ず仏罰が降ると信じたいものです。

こういうことに備え、詳細な記録保存がなされ、また、その結果がオーソライズされておく必要性を痛感します。また、安易な「対処療法」によって身近な石造美術と善意の愛好者との距離がますます遠くなることを懼れる次第です。


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最近(平成23年6月初め)再訪しました。王墓山は御... (猪野六郎)
2011-06-10 08:08:22
最近(平成23年6月初め)再訪しました。王墓山は御墓山(おおはかやま)とも呼び、前方部を北に向ける古墳時代後期初め頃の前方後円墳だそうです。墳丘全体に開墾が進み原形はかなり失われていますが、元は墳丘長約75mの周濠を備えた立派な前方後円墳だったようです。(参考:橿原考古学研究所編『大和前方後円墳集成』学生社2001年 89~90頁)
現在は潅木が疎らに生え、墳丘全体が雑草に覆われています。南側(後円部)の墳頂部の一角に小さい茂みがぽつんと残されており、その中に石塔たちは隠れるようにして残存していました。茂みは工事用の仕切り板で囲まれ、内側は茫々たるブッシュ、観察は困難な状態でしたが、層塔と印塔の笠があるのは目視で確認できました。
塔身が盗まれ、復元されるでもなく、無残な荒れ放題状態で放置され、盗まれる前より環境は悪くなって観察もできない。こんな状態がいつまで続くんでしょうか。ほんとうに不幸な石塔です。現代を生きる日本人の一人として祖先に顔向けが出来ない思いにかられ、嘆かわしいやら腹立たしいやら、実にやるせない気持ちで現地をあとにしました。
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