石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 大津市上田上新免 西性寺宝篋印塔

2008-04-29 00:07:46 | 宝篋印塔

滋賀県 大津市上田上新免 西性寺宝篋印塔

西性寺は、新免集落にあるささやかな寺院である。境内はよく手入れされている。本堂向かって右手の植え込みにある石塔は、宝篋印塔の基礎、五輪塔の水輪、宝篋印塔の笠、小形の五輪塔の水輪、火輪、空風輪より構成される寄せ集めである。02台座や基壇はみられず直接地面に据えられている。宝篋印塔の基礎と笠は、概ねサイズ的にバランスがとれているが、同一個体であるか否かは不詳。五輪塔は各部全くの寄せ集めである。この宝篋印塔の基礎と笠が珍品であるので紹介したい。基礎は、幅約52cm、高さ約34.5cm、上2段式で各側面とも輪郭を巻いて格狭間を入れる。この格狭間がたいへん珍しい。一面は花頭部分がなく上下とも脚部となった異形の格狭間、3面はいわゆる蝙蝠形で、川勝博士が便宜上後期式と呼ばれるものである。いうまでもなく近江は宝篋印塔をはじめ中世石塔造立の一大メッカであり、格狭間を持つ石塔類もほとんど枚挙に暇がない状況だが、このような格狭間は他に管見には及ばない。05昭和40年代に精力的に近江の石造美術を広く調査された田岡香逸氏をして「従前、例の少ない珍しい手法」と言わしめるものである。他に例がないだけに比較検討もしづらい。もっとも蝙蝠形格狭間は木造建築や工芸品において鎌倉期から見られるものである。あるいは凝った意匠で、奇をてらった近世の模古品の一種かとも疑わしめるが、表面の質感、段形や輪郭の手法などを見る限り、やはり古いものである。石工の創造性の発揮なのか発注者側の趣味によるものか、木造建築や工芸品等に倣った意匠を石造品に持ち込んだものと解される。次に笠であるが、これまた他に類例を見ない珍妙なものである。軒幅約48cm、高さ約34cm、笠下は2段式で通例どおりであるが、笠上もまた2段である。さらに、軒が約10cmと厚く、笠下の2段は約3cm内外と通例の高さであるが、笠上の2段は下6cm余、上9cm余と異様な高さがあり、笠上が2段しかないにもかかわらず笠全体としては十分高さがあって扁平にはなっていないのである。隅飾は一弧素面で低く、軒と区別して若干外傾する。また、田岡氏によれば、上端にあるべき枘穴がないという。田岡氏は、基礎と笠を一具と認め、13世紀末頃のものとし、笠については三重宝篋印塔の中段部分と推定されている。田岡氏の報文では、下端の枘についての言及がなく、三重宝篋印塔とする結論に至る説明が省かれており、少し唐突な印象を受ける。もちろんその可能性を否定するものではないが、小生としては三重宝篋印塔と断定するにはもう少し説明責任を果たしていただきたかった。そうでなければ、もう少し結論には慎重であるべきと考える。仮に基礎と笠が一具のものとすれば、基礎の格狭間にみる特異な意匠に鑑み、何か既定の枠に収まらない特殊な製作意図が働いた結果の産物、異形の宝篋印塔の残欠としておくに留めたい。加えて製作途中で放棄された可能性もいちおう残る。造立時期についても、不詳とするほかないが、あえてといわれれば、基礎の輪郭、幅:高さ比から田岡説よりやや新しい概ね14世紀初頭ごろと仮定しておく。

参考:川勝政太郎 『古建築入門講話』改訂版 141ページ、147ページ

   田岡香逸 「大津市田上の石造美術」『民俗文化』89号

写真左:変てこな笠、珍品でしょ。

写真右:これまた変てこな格狭間、画面左側が蝙蝠形、右は上端の花頭がなく上も脚部のようになっています。


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