お墓と「病気」
石造美術は多くが仏教系の所産なるがゆえか、お寺やお墓にあることが多く、石塔や石仏を求めて各地を徘徊していますと、次第に墓地への忌避感が薄らいでだんだん慣れっこになってしまった自分に気付くことがあります。子どものころは、墓の脇を通る狭い路地が近道だとわかっていても、一人の時などはその道は避けて通ったものでした。まして夜道の墓地の横などはあまり通りたくないというのが普通の人の感覚だと思います。ところが、近年慣れっこになったせいか、あまりお墓が苦になりません。それどころか、通りがかりにお墓があれば古そうな石仏や石塔類がないか、進んで目をやってしまいます。そのうち、放置された三角形のケンチブロックや物干台のコンクリ基礎までが火輪に見えてくるようになるとかなり重症、病気ですね。たぶん、ほとんどの同好の士が同じ病気に罹っているのではないかと思います。墓地をうろつく疾行餓鬼ならぬ石造餓鬼といったところでしょうか。いやはや・・・。そんな小生でも、真新しい土盛がある土葬のお墓や、その土盛が少しくぼみかけているようなところ、無縁塚に打ち捨てられた白い陶器の蓋が半分開いているのを見かけた時などは、さすがにぞっとします。ちょっと怖い話で閑話休題。