石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 長浜市西浅井町黒山町 東光院五輪塔

2011-11-13 23:16:15 | 五輪塔

滋賀県 長浜市西浅井町黒山町 東光院五輪塔

JR湖西線永原駅の西方約1km、黒山集落の東寄りに東光院がある。慶長年間の開基(中興)で真言宗智山派、本尊は薬師如来とのことだが、現在は無住の小堂があるだけの侘しい佇まいである。しかし境内には多数の小石仏や小型の五輪塔が賑々しく集積されて祀られており、01黒山石仏群と呼ばれている。04たくさんの石仏には夫々に赤い前掛けが付けられ香華も絶えない様子で、寺は廃れても地元の篤い信仰が息づいている。一説に賎ヶ岳合戦の柴田軍の菩提を弔う石仏群と伝えられるようだが伝承の域を出ず不詳。また、近くの神社境内にあったものが明治初期の廃仏棄釈の折、別の場所に移され埋められていたといい、その後の開墾で出土して現在の場所に運ばれて来たとも伝えられる。真相は不詳だがいずれにせよ原初の位置をとどめているとは考えにくく、付近から集められてきたと考えるべきなのだろう。大部分は小石仏と小型の五輪塔で占められるが、中には層塔、宝篋印塔、宝塔、規模の大きい五輪塔の残欠や寄集めが見られる。その中で唯一各部材が揃った整美な姿をとどめている五輪塔が注目される。現状では基壇や台座は見られず直接地面に据えられている。花崗岩製。塔高は約178cmで六尺塔として作られたものと考えれる。地輪は、幅約75.5cmに対し高さは約34cmとかなり低平である。水輪は最大径約69cm、高さ約57cmで、その形状は球形に近く最大径がほぼ中央付近にあって横張や裾の窄まりは感じられない。02_3火輪の軒幅約68.5cmに対して上端の幅がやや小さく約22.5cm。高さは約42.5cm。03軒口の厚みは中央で約11.5cm、隅で約13cmとそれほど分厚いという感じは受けない。軒口の隅増しも少なく、軒反もどちらかといえば緩い。空風輪は一石彫成で高さ約45cm、風輪径約32.5cmに対して空輪径約29.5cmで風輪の径がやや大きい。風輪は深鉢状で空輪との境のくびれは少なく、空輪はやや腰高で球形に近い。空輪先端の尖りは欠損しているが残存する尖りの基底部はやや大きめである。各部とも四方に梵字を薬研彫りしている。火輪以上の梵字は風化摩滅が進み判読しづらいが五輪四門の梵字であろう。05_2大ぶりだがやや線が細い梵字である。地輪と水輪の梵字の方角が揃っていないので積み直されている可能性が高い。06各部のサイズ、風化の程度や石材の質感などから一具のものと考えてよいと思うが、似た大きさの古い五輪塔の残欠が他にも数基分見られることから寄集めの可能性も完全には排除することができない。もっとも各部の特長、低平な地輪、水輪の形状や火輪の軒反など総じて古風を示すと見てよく、全体の統一感は保たれているように見える。無銘。造立時期について、田岡香逸氏は1300年頃と推定されている。あるいはもう少し遡らせてもいいように思うが、それでも概ね13世紀後半頃だろうか。程近い場所にある大浦観音堂五輪塔(2010年9月30日記事参照)と高島市今津町酒波寺五輪塔(2008年10月3日記事参照)の中間に位置づけることが可能な特長を示すように思われる。この外、境内にある層塔、宝塔、宝篋印塔も不完全な残欠や寄集めになっている点は惜しまれるが(中には見立物にでもするためだろうか、部材を抜き取って粗悪な後補品に入替えてあるようなものもある)、作風優秀で規模の大きいものも複数確認できる。これらについて詳しく述べることは割愛するが、鎌倉時代から南北朝時代の年代が想定できる。また、多数の小石仏や小型の五輪塔もほとんどが中世に遡るものである。

 

田岡香逸 「近江伊香郡の石造美術―西浅井町黒山・大浦と木之本町木之本―」

     『民俗文化』第104号

瀬川欣一 『近江 石の文化財』

 

文中法量値はコンベクスによる実地略測値ですので多少の誤差はお許しください。

写真左中と右中:五輪塔の隣には不完全ながら層塔が3基、宝塔が3基あります。写真左下:奥まった巨木の下には立派な宝篋印塔の笠が多数集積されています。写真右下:ずらりと並べられた小石仏と小型の五輪塔群です。よく見ると一石五輪塔や板碑も交じります。写真の手前に写っている一見すると五輪塔の火輪のように見えるのは露盤があるのでたぶん層塔の笠石です。これだけの石造物が集められているのは石塔寺や引接寺を除くとそうなかなかありませんね。しかも数だけでなく質的にも詳しく調査されて然るべき濃ーいものがあります。本文中にある大浦観音堂五輪塔も近く、嘉元2年銘の黒山道地蔵石仏(2010年10月9日記事参照)がすぐ近くにあるのであわせて訪ねられることをお薦めします。