滋賀県 長浜市西浅井町大浦 大浦観音堂五輪塔ほか
琵琶湖の最北端、南に向かって細長く突き出した葛篭尾半島の付け根の西側に位置する大浦。現在は市町村合併で長浜市になっているが以前は伊香郡西浅井町。古来、湖北水上交通の要衝として知られ塩津、海津と並ぶ湖北三湊のひとつに数えられた。その歴史は古く万葉集にも詠われている。また、中世の大浦庄に比定され、半島先端付近にある菅浦地区に残された「菅浦文書」と呼ばれる古文書(重文)には鎌倉時代から室町時代にかけてくり広げられた相論の相手方として登場する。大浦観音堂は集落北東の山裾に位置し、天台宗に属する。別名「腹帯観音」と呼ばれ安産の祈願所として知られる。以前は東方の八幡宮の別当寺のような存在だったようで、明治期に神社から分離され現位置に移されたという。お堂前の広場は小公園になり、ほとんど廃寺同然になっている遍照寺という時宗のお寺と境内を分け合っているような状態である。お堂のすぐ南東側、石造物が集められている一画に際立って立派な五輪塔がある。花崗岩製。直接地面に置かれているようで台座や基壇は認められない。地輪下端は埋まって確認できないが現状塔高約192cm。地輪の上端幅は約90cmある。昭和47年3月、地輪下端を掘り出して調査された田岡香逸氏の報文によれば総高は196cmとあるから5cmほど地面に埋まっているようである。同報文によれば地輪幅は下端で約96.2cm、地輪の高さは右(南)側で40.2cm、左(北)側で49.3cmというから下端が不整形で、高さは幅の半分程度しかなく地輪の背が低くく裾拡がりの形状であることがわかる。水輪は高さ約55.5cm、最大幅約77cm、上下のカット面が大きく横張が少ない球形に近い形状を呈する。火輪は軒幅約77.5cm、上端幅約33.5cm、高さ約39.5cm。軒口はあまり厚くなく中央で厚さ約10cm、隅で約12cm。火輪は全体に低平で下端面は平らに仕上げ、軒反は隅近くで軽く反転する程度。屋根の勾配は緩く屋だるみはほとんどみられず、四注の描く線はおおむね直線的である。空風輪は一石で彫成し、高さ約52cm、風輪は背が高く深鉢状を呈し、最大径約38cm、くびれ部分の径は約28cm、空輪の最大径は約36cmで中心よりやや低い位置に最大径がある。各輪には五輪塔四門、すなわち上から「キャ、カ、ラ、バ、ア」の四門展開の梵字を各輪に配しているが、その構成や展開の仕方が通常と異なり変則的なものとなっている。彫りが浅く風化も進行して空風輪の梵字は肉眼では確認しづらい。水輪は北側と南側はバン、東側バー?(涅槃点のようなものが左側にあるように見える)で、西側は舟形光背を彫り沈めて胎蔵界大日如来ないし阿弥陀如来と思われる定印を結んだ座像を半肉彫りしている。地輪は西側アン、南側アーク、東側アーンクで北側は左にウーン、右にシリキエンを並記している。川勝政太郎博士はこのウーンとシリキエンについて釈迦如来の脇侍である文殊、普賢の二菩薩ではないかと推定されている。いずれの梵字も独特の書体で大きく浅く薬研彫される。以上述べてきた特長をおさらいすると、①地輪が低平、②地輪が裾拡がり、③水輪の上下のカット面が広い、④水輪が横張の少ない球形、⑤火輪が低平、⑥軒口が厚くない、⑦軒反が顕著でない、⑧風輪の背が高めで深鉢状、⑨空輪の重心が低い、⑩浅く大きい梵字の薬研彫、⑪変則的な梵字の配置といったところであろうか。紀年銘は認められないがこうした各部、細部の特長、さらには安定感のある塔姿全体から醸し出される古雅な雰囲気を総合的に考慮すればこの五輪塔が非常に古いものであることがわかる。造立時期について、田岡香逸氏、川勝政太郎博士ともに鎌倉時代中期、それも前期に近い頃のものと推定されている。五輪塔としては近畿でも屈指の古塔に数えられ、近江では最も古い様式を示す五輪塔として極めて注目すべき優品である。ただ、地輪が南側に少し傾いてきており、水輪から上が不安定でグラグラと動く状態になっているのが気にかかる。このままでは遠からず倒壊のおそれがあり早急な保存措置が望まれる。
また、すぐ傍らには珍しい双身の板碑が数基ある。板状の花崗岩で上部を山形に整形した2基がくっついたような形状を呈する。保存状態のよい中央のもので現高約80cm、幅は下端近くで約54cm、上方で約51cm。厚さは約13~14.5cmである。中央上部に諸尊通有の種子「ア」を陰刻する以外は何も刻まれていない。碑面は平らで二条線や額部は省略されたものか表現されない。種子の出来もいまひとつであることから、室町時代でも後半に降るものと推定される。あまり類例のない貴重なものである。このほかにも小型の五輪塔や宝篋印塔の残欠、一石五輪塔や石仏が見られる。いずれも中世に遡る石造物である。
参考:川勝政太郎 新装版『日本石造美術辞典』
田岡香逸 「近江伊香郡の石造美術」-西浅井郡黒山・大浦と木之本町木之本-
『民俗文化』第104号
湖北もこのあたりまでくると広々とした湖水の量感が違いますね。道路もよく整備され、かつ自然豊かで風光明媚な景色が車窓に流れていきます。実に快適なドライブです。もっとも陸上交通が今日のような姿になったのは近代以降で、それまでは湖上水運がメインでした。大浦も若狭、越前方面と近江、さらには大和・京都などを結ぶ水上交通の要衝、つまり人と物が集まる場所だったわけで、古い歴史を秘めた土地柄といえます。そしてそこに古い石造物が残っている。いろいろと考えさせられるものがありますね、ハイ。ここの五輪塔は小生の最もお気に入りの五輪塔の一つです。2m近い大きさがあってどっしりとした安定感があり、古色然とした雅な雰囲気に魅せられます。水輪の像容がデザインのポイントになっていますよね。これまでに何度か来ていますがいつも立ち去り難い気分にさせられます。ちなみに観音堂の脇から裏山に向かう小道を少し登っていくと石造物が集積された一画があります。裏山は現在砂防工事が行なわれており、工事に伴ってあたりにあった石造物を集めたとのことです。実はここにも最近発見された極めて注目すべき遺品がありますがこれは改めてご紹介します。